俺が調子に乗って普天間第二小学校の歴史を語ってみよう その2

前回までに普天間第二小学校が誕生した流れを簡単に説明しました。今回からは移転計画の頓挫と、校舎立て替えにいたる経緯について、公開された情報をベースに記述します。

その前に普天間第二小学校PTA新聞(第72号)に、新校舎落成の記事が掲載されていますので全文抜粋します。

待望の新校舎が完成・落成 – 式典と祝賀会を挙行 – 新しい教育システムを導入、地域開放も

~大勢が参加し新校舎完成を祝う~

本校関係者が待望していた本校新校舎が完成し、落成式典が(1996年)6月1日に行われました。式典には、桃原正賢市長をはじめ教育長、教育関係者やPTA、工事関係者が大勢出席し、新校舎のピロティーで行われました。

本校は昭和44年(1969)に普天間小学校の分離校として開校されましたが米軍基地普天間飛行場にフェンスひとつで隣接しているために、基地からの航空機騒音や航空路延長線上に位置しているための墜落の危険性、校地の狭さなどいろいろな問題が起きていました。そのため昭和56年(1981)頃から「学校移転」の方針が出て、昭和61年(1986)にはPTA総会で「普天間第二小学校の校地早期移転要請決議」がなされて、市や行政に要請活動を続けてきました。そして、一時期米軍基地を解放しての移転が決まりかけていましたが、諸々の事情で実現しませんでした。

移転要請を続けている間には校舎の老朽化が進み、教育環境としては劣悪を極めてきました。そこで平成4年(1992)にPTAで臨時総会を開き「現在地での校舎全面新築」を決議し、市に要請しました。市はPTAの要請を受け校舎新築の決定、平成7年(1995)に工事が始まりました。落成式典では市長をはじめ教育長は議会議長がこれまでの思いを述べ校舎落成を祝いました。

また、児童生徒代表の山城さんが新しい校舎で学ぶ楽しみや喜びを話しました。

この記事における注目は、「そして、一時期米軍基地を解放しての移転が決まりかけていましたが、諸々の事情で実現しませんでした」の部分です。平成28年(2016)2月1日の沖縄タイムスプラスの記事、『普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された?(中)』が当時の動きを詳しく説明していますので当ブログでも引用しますが、”一時期米軍基地を解放しての移転が決まりかけていました” の部分は、昭和59年(1984)12月8日に、那覇防衛施設局を通じて、安次富市長(当時)に米軍側がキャンプ瑞慶覧の一部返還に応じる旨の連絡があった件で間違いないと思われます。

この案件は、『第109回国会 – 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 – 第2号(昭和62年8月19日)』の質疑応答にも同様な記述がありますが、米軍側が返還に対する5つの条件を提示したことが移転問題をややこしくしてしまいます。その条件は下記参照。

1 返還面積は約4万平方メートル

2 米国が普天間住宅地区に隣接する「丘陵斜面」を最大限に造成する

3 返還に伴い、キャンプ瑞慶覧内に住宅等が建設されること

4 現在の普天間第二小敷地、建物を普天間飛行場として米国に提供すること

5 保安柵から5メートル以内に学校建物を建設しない。

最大の難関はもちろん4番、この案件をクリアできなかったことが移転計画を頓挫させる一因になります。だがしかしここで安次富市長(当時)は致命的なミスを犯してしまいます。それは米軍側からの条件を秘したまま、昭和60年(1985)7月の宜野湾市長選挙に立候補して落選してしまうのです。この落選こそ移転計画を頓挫させた最大の理由です。

ブログ主が悔やんでも悔やみきれないのは、

「何故安次富市長は、米軍の条件を速やかに市民に公開しなかったのか?」

の1点です。米軍から提示された条件は難題で、公表すれば大騒動になること間違いないのですが、ただしもう少し宜野湾市民を信頼すべきではなかったのではと思わざるを得ません。おそらく安次富氏は85年7月の市長選をクリアして後に条件公表→決断する腹だったのかもしれません。たしかに「米軍からの条件の公開は選挙戦に不利に働く」との読みはやむを得ないのですが……。

安次富氏の後を継いだ革新系の桃原正賢市長は、米軍からの条件撤回の上で普天間第二小学校の移設を模索しますが、案の定そんな都合のいい話は通りません。いたずらに時が経過して第二小の校舎の老朽化が深刻化、ついに平成4年(1992)にPTA総会で「校舎全面改築」の決議が採択されることになります(続く)。

【関連リンク】

第109回国会 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第2号

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/109/0710/10908190710002c.html

普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された?(中)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/23402