時代遅れになった “愛国保守”

先月28日に投開票が行われ、そしていろいろと物議を醸した「令和06年度衆議院東京15区補欠選挙」はご存じのとおり酒井菜摘候補(立憲民主党)が大差をつけて初めての当選を果たしました。

この選挙は日本保守党の飯山陽氏が立候補したことでネット上では話題になった感がありますが、個人的に気になったのは日本保守党の支持者と、それに反目するグループが鋭く対立していた件です。この点については「ネットだけの人気に限界も…一枚岩ではない日本保守党の将来」のなかで

反百田派とされる彼らは日本保守党への応援を一切行っていないばかりか、それぞれのSNSや動画チャンネルなどで日本保守党への批判を繰り返しており、またそれに応酬する形で、百田派と反百田派に属するとされるネットユーザー双方による喧騒が続いているというのが現在の状態である。

と指摘されており、しかも喧騒は傍目で見てもちょっと見苦しいというか、大人同士の醜い争いを見せつけられる嫌な気分になった感があります。

それ故にブログ主は “岩盤保守系” と呼ばれる識者のつぶやきには無関心を貫いてきましたが、ただし今回の補欠選挙の結果を受けて、もはや “愛国保守” は時代遅れになった件を実感しました。

実は岩盤保守系は (彼らが忌み嫌う)左翼系と根っこは同じであり、彼らは「ぼくのかんがえるさいきょうのにほん」へ国民を導くことを使命としてます。ちなみに共産党は「前衛」あるいは「指導」との用語を使いますが、「導く」という点では一緒です。だがしかし愛国保守系の輩からは、「みちびいてやる」との姿勢が著しく目立つのです。

ズバリ指摘すると、愛国保守の致命的な欠点は、本音では国民を信用していないことに尽きます。そして、この点は「憲法を守れ」を唱える輩と全く同じです。参考までに護憲派は「憲法が改正されれば国民は戦争に導かれてしまう」と主張しますが、それはつまり国民は政府によって簡単に騙される愚かな存在だから、我々が啓蒙してやろうとの “思い上がり” があるからこその発想なのです。

そして誤解を恐れずにハッキリ言うと、日本保守党の候補者、そして彼女の支援者たちの上から目線的な言動が、選挙戦において広範囲な支持を集めることができず、彼らが嫌う立憲民主党の候補に大差をつけられた原因のひとつと見做しても誤りではありません。

今回の選挙の結果を受けて、ブログ主は明治以来の日本社会の根底にあった「啓蒙思想」が完全に時代遅れになったことと、「国民の叡智と社会の復元力」に全面的な信頼を置いた上で、辛抱強く政策を実行するタイプのリーダーシップが現代社会に最も適していると確信しました。かつて故長谷川慶太郎氏は、

政治は衆愚でいいのだ

と喝破しましたが、それは日本国民と社会に対し強い信頼があって初めて可能であり、安倍晋三、菅義偉、そして岸田文雄の3氏はまさにその発想で政治を行なってきたのです。そしてこの潮流は今後のトレンドになること間違いなく、立憲民主党も日本維新の会もその流れからは逃れることは不可能です。すなわち「誘導系」の人物は政治家には不向きと有権者からみなされてしまうのです。

※小泉純一郎氏をもって誘導系の政治家は最後になった感があります。

ただし、残念なことに我が沖縄は今後も政治的には停滞することが予想されます。なぜなら復帰前後から続く保革対立の根が深すぎて、 “県民の叡智を全面的に信頼する” との発想が政治家たちに決定的に欠けているからです。それには理由があって、旧革新共闘会議系の支持者は「保守はヤマトゥにうしぇーられてるのも分からんわけ?」と、保守系政治家の支持者を本気でバカにしてますし、保守系は保守系で「革新の連中は口先ばかりでぬーんならん連中やさ」と、これまた革新支持者を心底バカにします。それが50年以上、そして現在進行形で続いてますので、我が沖縄には

保革問わず、政治家は身内のことしか考えられない習性

を改めることができないのです。ただし、これは歴史的な経緯があるので一朝一夕で改善できるものではありません。日本社会のトレンドから取り残されることにはなりますが、我が沖縄の若い世代の叡智がこの問題を解決してくれるであろうと確信して、今回の記事を終えます。