先日(4月15日)掲載した記事 “非武装、中立あり得ぬ”が予想以上の反響でしたので、今回も昭和53年10月22日の鄧小平副首相(当時)来日関連の史料を掲載します。この件に関する前日(10月21日)の琉球新報の論説が実に興味深い内容です。沖縄タイムスに関してはまだチェックしていないので、機会があれば後日当ブログにてアップする予定です。
鄧副主席来日に関する琉球新報のコラム〈金口木舌〉は、当時の社会情勢を推測するに足る貴重な史料ですが、個人的に面白いと思ったのは、「沖縄基地全廃のアジア人民の声も聞こえにくい」の一説です。“アジア人民”を現代では“市民”に言い換えているだけで、(自分たちの都合のいいように)大衆や人民、あるいは市民を定義するセンスは当時も現代も変わらないなと苦笑を禁じえません。コラム全文を掲載しますので読者の皆さん、是非ご参照下さい。
金口木舌
「近代化のためには西側からの兵器購入も、外資導入も、生産奨励の物資刺激も…」の路線のカジとり役・鄧小平副首相があす来日する▸日中平和友好条約の批准書交換のためだが、ここ百年、中国から来る最大の大物だ。かつてソ連のフルシチョフ首相が訪米、官僚臭のないユーモアたっぷりの言動でアメリカ人のソ連観を変えさせたことがある。鄧氏来日も、毛沢東や文化大革命のときの中国を考えれば一大変化と受けとれるような言動をするのではないかと予想する向きもある▸事実、先週、国労の中央委で村上委員長は鄧副首相の言動に警戒する発言をした。「非武装中立の政治路線に混乱がないよう、き然たる方針で対処すべきだ」と▸これは、中国首脳が最近、日米安保条約を積極的に認めるような言説がみられるからで、労働陣営、平和運動団体では内心ヒヤヒヤして見守っている表れだろう。自衛隊の北京駐在官には最大級のもてなしをするし、人民解放軍の最高指導者が儀礼的とはいえ東京で防衛庁首脳を訪問する。対ソ戦略のためには日本と手を組んで「国防の近代化」に努力したいのがいまの中国のいき方だ▸沖縄の米軍基地も対中国基地から、いつの間にか対ソ基地の役割に変わってきたらしいのである。“日米中枢軸”などといわれ対立の構造もすっかり変わった。そういう中での有事立法構想には国際的非難も少ない。沖縄基地全廃のアジア人民の声も聞こえにくい▸ソ連は太平洋が不安定になったといって強大な太平洋艦隊を維持すると十九日言明した。日中間にはさまれている沖縄はやはり大国のはざ間でほんろうされつづける運命なのだろうか。
【参考】昭和53年琉球新報1面