ここ数日ブログ主はクリスマス前後にアップする予定の史料をチェックしていますが、その際に極めて興味深い新聞記事を発見しました。昭和47年5月の琉球新報ですが、復帰直後の物価値上げに関する貴重な記述が見つかったのです。
結論を先に申し上げると、1㌦305円換算でドルから円に価格表記の切り替えに伴い、推定で最低2~3割の物価上昇が発生しています。以前は1㌦360円の交換レートが、復帰直後は約17%下落していて、さらに便乗的な値上げが発生してるため大混乱をきたした様子が想像できます。今回紹介する記事が一番わかりやすいかと思われますので全文を紹介します。ぜひご参照ください。
食堂式換算は「1㌦→470円」/ 便乗値上げ花ざかり
「ちょっとひどすぎないか」ー。1㌦=305円と価値がダウンしたのに軒なみ値上げ。その便乗値上げのすさまじいこと。那覇市牧志のあるレストランは政令レートが発表されたので13日メニューの書きかえをした。360円レートで換算するだけでも事実上の値上げなのにこれまで1㌦だったBランチを470円にした。これだと約30%の値上げ、お客さんの立場になると1㌦を305円にかえたうえ165円余分にださないと前の日まで1㌦でたべられたランチをとることができないということになる。そのほか別表にしめしたようにざっと2-3割値上げしている。消費者の方はドルの価値が約17%減ったので結局4割以上も丸損というわけ。
また松尾のあるそば屋さんは現行のメニューを360円や政令のレートで読みかえるのではなくて、本土都市地区のそば屋さんの価格表に準じて新メニューを決めるという。そうなるとやはり2割ぐらいの値上がりになる。沖縄の実情にそった値上げでなく「本土と同じにする」という名目の平準化作用が働き、それが一そう物価高をうながしているようだ。(昭和47年5月14日付琉球新報夕刊03面)
でもこれはしょうがない部分があって、仕入れ値の上昇分をメニュー価格に反映しないと食堂はやっていけません。とはいえ、49年後の今日から見ると当時の物価の安さは衝撃的で、復帰して約半世紀を経て外食メニューは約2.5倍に値上がりしているわけです。
食堂などは仕入れ値の関係で値上げが避けられない現状は理解できますが “モトシンカカランヌー” と呼ばれた風俗関係の遊び代も値上がりしています。昭和47年5月19日付琉球新報に興味深い記事が掲載されていましたので紹介します。
閑散する特飲街 / 売防法施行4日目 – 業者、復帰混乱と楽観
売春防止法の全面施行から4日が経過した。那覇市内の売春地域といわれる十貫瀬、栄町は夜の11時をすぎても人通りはまばら、目抜き通りに面した飲食店、バー、サロンの灯がポツリとともり、飲み客のはいっている店はまばら。路地の暗ヤミには2~3の女性が客待ち顔にうずくまっている。つい数日前までにぎわっていた十貫瀬の町はウソのようにひっそりしている。
栄町では旅館入口で手もちぶさたでタバコをふかしていた女性は「全く商売にならない。12時になろうというのに客はただ1人だけ」といった。ある業者は「政府が特殊婦人の更生、業者の転業をもっと具体的に配慮しなければいくら取り締まりを強化しても売春がなくなるはずがない。客が減っているのは復帰のどさくさでいそがしいからだ」と一時的な現象とみている。
売春防止法の施行で20数年続いた沖縄の売春街の灯が実際に消えるかどうか疑う人は多い。政府の売防法対策でさえ特殊婦人の前借金問題、雇用あっせん、さらに業者の転業指導など解決しなければならない難問に頭を痛めている現状。このような中で売春防止法が全面施行され刑事処分、補導処分ができるようになった。業者、特殊婦人にとって死活問題だけに実施直前まで「これからどう生活していくか…」「何に転業すべきか」ーと生活の不安を訴える声で満たされた。
ところが、売防法施行と同時に売春宿の多くは戸を閉め女性の数も少ない。目抜き通りに面した飲食店、バー、サロンなども客待ち顔の主人だけで閑散。ある飲食店の主人(十貫瀬)は「売春地域とマークされたおかげで飲食客もさっぱりですよ。売春婦たちもここでは商売ができないと大半がどこかへ引っこして行きました。でも表面的にかくれただけで実数はそう変わらないんじゃないですか」と売防法の効果を疑問視する。店の路地向かいのバラック建ての裏戸が開いて若い女性が手まねきをした。
「いくら?」ときくと女性は「二千円ヨ」と指をV字に示した。
物価高で売春街の値段も4㌦から一きょに本土並みに値上がりしたようだ。(昭和47年05月19日付琉球新報夕刊03面)
アメリカ世および復帰直後の “遊び代” がわかる貴重な記事ですが、
安っつ!
と思わず突っ込みを入れてしまったブログ主であります、(おわり)