昭和37(1962)年12月16日の琉球新報の記事

今回は、前回の記事”我が沖縄社会の犯罪統計を調べてみた結果”の補足として昭和37(1962)年12月16日付琉球新報の年末特集記事「この一年(3)」を紹介します。

昭和37年当時は琉球警察の統計上、もっとも犯罪が多かった年で、しかも世間を賑わした凶悪犯罪が目立った一年でもあります。ブログ主もこの特集記事に紹介されている3事件の記事を読みましたが、たしかに “残酷劇” という言葉がぴったりの悲惨な案件です。荒んだ琉球社会の一面を暗示しているかのような事件ですが、実はこのあともっとすごい事件が起こったのがアメリカ世の恐ろしさです。

昭和38(1963)年以降の社会をお騒がせした事件を紹介したらそれこそ時間がいくらあっても足りませんが一例として、「沖縄県警察史第3巻」に掲載されていた少年犯罪の一節を紹介します。

四 少年犯罪 少年の検挙人員は次表(今回は割愛)のとおりで1951年に総数885人であったのが、1967年のピーク時には3倍近い2350人となっている。凶悪犯については当初一桁台で推移していたが、1963年には100人を超え、ピーク時の1968年には殺人12件、強盗133人、放火3人、強姦105人の合計253人が検挙されている。

ちなみに琉球警察の統計書によると少年犯罪の凶悪犯(殺人、強盗、放火、強姦)のそれぞれのピーク時は

殺人 29人(1967年)

強盗 133人(1968年)

放火 32人(1970年)

強姦 105人(1968年)

となっていて、米軍人や軍属でもここまで酷い数字は出していません(米兵関連の事件は発生率が高いのが特徴)。我が沖縄の歴史上もっとも治安が悪かったといっても過言ではないアメリカ世時代、そしてそのピークが昭和37年から44年までの8年間です。前置きはここまでにしておいて、琉球新報の特集記事全文を掲載しますので読者のみなさん是非ご参照ください。

この一年 (3)肉親殺し

殺人事件の約半分 – 酒乱家庭と精神異常者

極端な “親と子” の破局を見せつけられた一年であった。八人の親が子に殺され、五人が親に一人が兄弟に殺されるという残酷な肉親の愛憎が続いた。

十四日現在でことしは全琉で三十二件の殺人事件(傷害致死もふくめて)が起こり、戦後最高の “暗い年” となった。殺人未遂もあわせるとこの数字はさらに倍加する。

こうした “殺人ラッシュ” の中で、残酷をきわめたのは、連続して発生した尊属殺しや実子殺しであろう。後半にきてはひと月に五、六件も事件が起こるといった状態で肉親関係の”危険な曲がり角”をまざまざと見せつけた。

高校生が父親の酒グセの悪いのにカッとなって包丁で刺し殺した与儀(那覇市)の尊属事件(十月十二日)をはじめ、会社の金を使い込み、その穴ウメに母親に小遣いを無心、ことわられた腹いせに母を刺し、道づれに弟まで殺した那覇の又吉某事件(七月七日)のような常識では考えられないような凶悪なもの。さらにコザ市内で、精神異常の母親が三女の首をマサカリで切り落とした上マナイタでさらし、目をおおわしめた残酷劇(五月二十三日)まで。

そして、これらの残酷劇が、そのままこの一年の犯罪の大きな主流となり、ひいては社会の一断面となった。

ところでこの十件の尊属殺人がどうして起こったのか。表面的には「発作性」と「精神異常者」にわけられる”単純殺人”だが、その底には単に”単純……”では片づけられない社会的な背景があったことはいうまでもない。

与儀の高校生による肉親殺しの真相はこうであった。

この高校生は父親の “酒グセ” に悩んでいた。父親は毎日のように深酒して夜おそく帰宅、そのたびに寝ている母親はじめ家族を足げにしたり、食器を投げつけるなどで虐待。文字通りの”酒乱家庭”で暗い生活が続いた。

こうした家庭環境であったため、Kは勉強する気にもなれない。何もかもおもしろくない。日ごろから内向ぎみだった性格がますます閉じられた。

Kは父が酔って帰るたびに思った – 。いっそのこと自分一人の世界に行きたい。こんな暗い生活の中にこれ以上たえられない – と。

しかし逃げ出す勇気は出なかった。絶望の日々はぬかるみのように続き、Kは家庭内ではすっかり “笑い” を忘れた…・

 – 十月十二日午前四時ごろの凶行は、そうしたうっ積が爆発したものである。Kはいじめられている母親がミゾおちをけられて失神したため、てっきり死んだものと思い込んで激情、前後の見さかいもなく包丁を手に取って刺した。

「何しろ加害者は未成年、理性をおさえるすべがなかったんですね」と、警察内でも同情の声が聞こえたぐらいだ。強いていえば、この事件は”酒”がひき起こした悲劇だった。

“酒乱家庭” – これが沖縄には以外に多いことをここで忘れてはなるまい。夫の酒グセに悩み抜いた果て、沖婦連の身上相談所や、家裁にもち込まれてくる分だけでも”酒乱”の例はあまりに多いという。

昔はいい人だったが、貧乏でいくら働いてもいいくらしができない。やけくそになって酒を飲み出すと “貧乏” への怒りが爆発、それで酒グセがついて手におえなくなったというような “酒乱” の背景もこうした相談では反映されているが、これが “残酷劇” へつながる可能性はじゅうぶんにあるといえよう。

いいかえれば犯罪はそのときから予測されているわけであり、これが “悪性化” しないうちに何とかしなければならない、と治安当局でも、続発したことしの尊属殺人から、改めて反省したという表情。

「肉親を殺すというほど悲惨なものはあるまい。そうした条件にある家庭の環境は異常というほかはないが、これは未然に防ぐこともできるはずだ。家族どうし話し合う機会をおしまずにもつように努力すれば”家庭環境の浄化”はできる。明るい家庭では犯罪はまずあり得ないことだ」と訴えている。

一方、精神異常者の肉親殺しも並行したが、これも、精神病対策が充実していれば、まず起こらなかったにちがいない。精神に異常をきたした家族が雑居しているのは “時限バクダン” をかかえているようなもの。法はあっても名前だおれになっているのが精神異常者対策の現状であるが、こうした対策がこのまま生ぬるい状態でつづくならこの種の惨劇はピリオドを打つことはまずあるまい。