昭和 51 年(1976 年)12 月 6日、暴力団上原組が那覇市安謝の曙町に”山口系大平組直系上原組”の看板を掲げたことで、地域住民および那覇市が大さわぎになった案件があります。第四次沖縄抗争のいきさつについての説明は割愛させていただきますが、同月 12 月 17 日の那覇市定例議会では、本会議冒頭にて「暴力追放宣言」を採択、同月 19 日には那覇市安謝で「暴力追放住民総決起大会」も開催され、その結果上原組は安謝から撤退せざるを得なくなりました。この件に関して 17 日付琉球新報から該当する記事を書き写しましたので、読者の皆さん是非ご参照ください。
那覇市議会が暴力追放決議
目にあまる”抗争” 勇気と決断で – 市民の生命、財産を守る
「組織暴力団の壊滅をはかり、那覇市から一切の暴力行為を排することを強く宣言する」 – 。地域住民が結集、暴力団追放キャンペーンが繰り広げられつつある中で、開会中の那覇市定例議会は、十七日の本会議冒頭「暴力追放宣言」を決議した。同議会が暴力団問題で決議を行うのは、昭和四十一年七月の臨時議会で「暴力追放都市宣言」、昭和四十八年の「映画『山口組三代目』の上映取りやめに関する決議」に次いで三度目。(中略)
暴力追放宣言決議(全文)
那覇市議会は、一九六六年、市民生活を破壊する一切の暴力行為を追放する「暴力追放都市宣言」を行って以来、今日まですべての暴力行為を追放するため、その根絶を訴えてきた。しかも全国最大の組織暴力団が那覇に進出し、市民に大きな不安と動揺を与えている。われわれ市民は、今こそ勇気と決断をもって立ち上がらなければならない。よって那覇市議会は、市民生活の安寧と市民の尊い生命、財産を守るため治安当局と一体となって組織暴力団の壊滅をはかり、那覇市からいっさいの暴力行為を排除することを、ここに再び強く宣言する。
引用:昭和51年12月17日付琉球新報夕刊 3 面
ここまではよくある話ですが、次の記事はちょっと首をかしげる内容となってます。
県警に協力要請 – 比嘉議長ら決議文手渡す
那覇市議会の比嘉佑直議長ら市会議員八人は十七日午前、県警本部に太田刑事部長を訪ね、同日採択した「暴力追放宣言」の決議文を手渡すとともに暴力団への取り締まりの強化を要請した。
席上、各議員らは那覇の各地区での暴力団への不安を訴えた。市民の切実な不安訴えに対し、太田刑事部長は「県警としては地元、本土を区別せずに暴力団そのものの根絶に力を入れている」と答えた。
最近、山口組と手を組んで事務所をかまえた上原一家のアジトを選挙区に持つ儀間議員が「あのアジトには何人いるのか、リーダーシップを握っているのは親分の(上原)勇吉なのか、山口組からは何人きているのか」など細かいことについて質問があった。これに太田刑事部長は「上原一家そのものは五十人前後でアジトのリーダーは勇吉の実弟の秀吉があたっており山口組からの組員は出入りしているようだが何人来ているかについてはよく実態がつかめていない」と答えた。
引用:昭和51年12月17日付琉球新報夕刊 3 面
一見すると普通の内容にも思えますが、
何かおかしな人が那覇市議会の議長をしてますね……
と突っ込まざるを得ません。これ以上の言及は止めておきますが、こういうところに”昭和の時代”を感じつつ、今回の記事を終えます。