新聞と暦表記 – その2

以前「新聞と暦表記」と題した記事を配信しましたが、そのなかでブログ主は「大正時代の琉球新報を参照すると、ブログ主の手元にある25周年記念号(大正6年9月24日)の暦表記は元号で統一され、西暦も皇紀も表記されていません。いつから元号表記のみになったかは今のところ確認できませんが(中略)」と記述しましたが、やはり気になったので沖縄県立図書館に出向いてしらべてきました。

結論を先に申し上げますと、明治33年(1900年)7月15日の紙面から紙面上部の暦表記が元号に統一されていました。それと面白いことにこの日をもって琉球新報の題字が変更されて現在に至ってます。ためしに史料をコピーしてきましたので読者のみなさん是非ご参照ください。

・現存する最古の琉球新報は明治27年12月16日号です。新聞上部に記載されている暦表記を確認すると、1面が元号、2面が皇紀、3面が西暦、4面が清暦になっています。これは前回の記事で紹介した通りですが、題字のフォントが現在と違う点に注目してください。

・明治31年4月1日付の琉球新報1面です。新聞上部の暦表記から清暦が消えて、その代わりに題字の下に清暦と韓暦が表示されています。清暦はともかく、なぜ韓暦も併記されているのかちょっと気になるところです。

・明治33年7月13日付の琉球新報1面ですが、15日を以て紙面が大幅に改良拡張する社告が掲載されていました。題字の下には元号と清暦および韓暦が併記されています。実は清暦と韓暦が表記されるのはこの日が最後になります。

・明治33年7月15日付の琉球新報1面です。この日から新聞上部の暦表記が元号で統一されます。ちなみに題字の下部に西暦と皇紀が併記されています。そして題字のフォントが変更され、現在まで継続して使用されるのです。

いかがでしょうか。新聞の暦表記をこまかくチェックすることで当時の社会情勢を伺うことができるのが実に興味深いところ、そして明治33年7月15日以前の題字フォントも素晴らしい出来栄えなので、いつか期間限定で復元してほしいなと余計なことを考えたブログ主であります(終わり)。