俺が調子に乗って “懲役太郎” の動画を検証した結果 〈1〉

今回は、ちょっと趣向を変えてというか、当運営ブログ初のケースですが、とある YouTube の動画の検証記事をアップします。ご存じの読者もいらっしゃるかと思われますが、懲役太郎チャンネルにて3年前に公開された『旭琉會【局地戦最強の沖縄のヤクザ】』を視聴したところ、全体としてはだいたいあっていますが、一部に認識違い等がありましたので、ブログ主が所有している書類を元に、訂正あるいは補足記事をまとめてみました。

まず「旭琉會」の読み方ですが、業界では「ぎょくりゅうかい」、一般では「きょくりゅうかい」と呼ぶ件については、これは正しいです。参考までに一般で「きょくりゅうかい」と読み上げる件については史料が存在しており、昭和46年(1971)年6月13日付琉球新報朝刊13面に「山原派と那覇派が合併してつくった新組織「沖縄連合旭琉(きょくりゅう)会」の登場も(以下略)」と明記されている点からも明らかです。(下記ブログをご参照ください)

“沖縄連合旭琉会” の登場

ただし、懲役太郎氏の動画で認識違いがあった点があり、それは「会」と「會」の文字です。昭和45年(1970)12月8日に「沖縄連合旭琉会」が誕生して以来、「会」の文字が使用され、平成23年(2011)11月27日の旭琉會親子縁組盃之儀式にて、初めて「會」の文字が使用されます。なお、儀式の動画が最近削除されていましたので、参考までに画面キャプチャーをアップしておきます。

※なお、この動画では司会進行役の又吉敏廣さん(当時二代目島袋一家総長)が「ぎょくりゅうかい」と読み上げていました。

「会」の文字については、昭和49(1974)年11月15日付琉球新報13面特集記事「締め出せ暴力団〈2〉」の写真をご参照ください。

そのため、動画内の語句を訂正すると、「旭琉會も元々、「沖縄連合旭琉会」というところから、「沖縄旭琉会」と「(三代目)旭琉会」に分かれて(以下略)」になります。

この動画で懲役太郎氏の認識する沖縄893情報はちょっと古めで、おそらく昭和から平成にかけての時期かと思われます。その点がはっきりうかがえたのが以下の部分で、太字部分は第六次沖縄抗争で起きた事件そのものなんです。

山一抗争を史上最悪の抗争と、言っておりますが、規模に関してはですけど、局地戦でいったら沖縄の抗争ほど、凄まじいものはなく、一般市民にも流れ弾が当たったり、とんでもない事件が起こっていた。沖縄という一地域だけだったから、それほど、それほどって言っても当時は、大変な報道だったけど、当時若い時に沖縄抗争を見聞する、報道で聞くだけ、とんでもない組織だなと、次元が違うなと思った記憶はある。

参考までに、その事件とは、(当時の新聞史料をコピーしていないため)『沖縄ヤクザ50年戦争』(洋泉社)』から引用すると、

〔平成2年〕11月22日、組事務所の防御ネットの工事をしていた定時制高校生が組員と間違えられて射殺され、翌23日には、覆面パトカーで警戒中の私服警官2人が、忍び寄ってきた2人組に至近距離から銃を乱射され即死した。それだけでなく警察官射殺事件では、たまたま現場を車で通りかかった主婦まで狙い打たれ、足に重傷を負う。

参考史料として、令和02年11月22日付沖縄タイムス01面の記事も貼り付けておきます。

ここまでが動画 1:30 あたりまでの検証であり、それ以降については後日改めて記事をアップします。