妻や子どもは父から逃げる 「ヘロインのある環境に近づかないことだ」‐“白い悪魔” のアリ地獄から死ぬ思いの辛苦をなめて、ようやく立ち直った元バンドマンのAさん(二五)はきっぱりと言い切った。彼は昨年八月ごろ好奇心からヘロインをうち始めた。日々深みにはまり、禁断状態に陥ると全身が気だるく、寝返ることさえ苦痛を覚えるほどになった。
やがて妻も夫の麻薬中毒を知り、二歳になった娘と夫を捨て東京へ逃げてしまった。「このままでは廃人になってしまう」彼は麻薬特有の禁断症状で真夜中、全身に油汗を浮かせてハネ起きるたびに思った。麻薬使用から二カ月後、南風原村宮平の県立「沖縄精和病院」の門をたたいた。一カ月の入院で、しぶとく彼に取りついていた白い魔の手をようやく断ち切ることができた。全快した彼は二度とトランペットを手にしなかった。彼は恐れていた。
沖縄の麻薬汚染源、コザの外人バー街にいるといつまた、ヘロインのとりこになってしまうかわからないことを…。
奇跡的に社会復帰に成功した現在の彼は、すっかり元の明るい好青年に戻っていた。二歳半になる娘が「パパ、パパ」とひざの上で甘えるのを喜ぶ彼の姿に過去の中毒患者のいまわしい影は少しも見られない。「普通の人よりも意思が強かったのと麻薬の恐ろしさを彼が十分認識したことが彼をここまで立ち直らせた」と県の麻薬監察官、島盛英さん(二九)はわがことのように喜ぶ。薬局の商売もほったらかして市民の立場から麻薬撲滅に協力する島さんのような民間人が県内に十七人もいる。
回復後、撲滅に協力 / “悪夢” への道、外人バー街
男性にくらべ女性は麻薬禍に弱い 県厚生部の資料によると男性の場合、麻薬禍から抜け出すのが早いのに比べ、女性は、どんどん深みにはまっていくケースが多い。完治したはずの女性が再びヘロインに手を伸ばす大きな原因は彼女が外人相手専門のホステスであることだ。よほど意志のしっかりした者でもヘロインが目の前にあると再び手を出してしまう。反復継続使用は麻薬の恐ろしさのひとつだ。退院したら彼女らは十中八九まで元の古巣、外人バー街に戻る。そして目の前にある麻薬に理性は殺され麻薬を覚えたからだがいうことを聞かない。二十六歳になるコザの外人相手専門のホステスは一カ月の入院治療でよくなったかに見えたがヘロインを見るとからだが震えた。
生活の疲れをごまかすヘロイン 麻薬を使用する目的には、つらい現実社会からの逃避、心身の苦痛をやわらげる、快楽の追及などがあげられる。沖縄の女性中毒者は圧倒的に前者の理由で麻薬使用者になっていると県厚生部の資料は示している。
B子は、昭和二十三年生。父母死別。高校卒業後、本土の紡績会社に集団就職。父親の死亡で間もなく沖縄へ帰ったが三年目には母親に先だたれる。「どうにでもなれ」とやけっぱちな気持ちからコザ市の外人バー街で働くようになった。
結婚を約束した米兵の子供を宿すが、出産間ぎわに米兵は突然本国に帰国、音信不通になってしまった。彼女は窮迫する生活の中で出産した。その費用を清算するためあるホテルから前借り売春をするようになった。このときまでは、大麻を米兵に勧められるまま飲む程度でまだヘロインを常用していなかった。
雪だるま式にふえる仕組みの前借りを返済しようと自分の肉体を酷使する。外に働きに行くため赤ちゃんを預けなければならない。その費用もバカにできないほどかさんだ。借金が借金を呼び希望のない暗い日々の生活の中で以前ヘロインをうったとき、全身の疲れがとれるような気持ちになったことを思い出した。希望のない毎日をいやし、仕事で疲れた体をごまかしてくれるヘロイン。週に一回から三日に一回、そして一日に一回、さらに日に三回としだいに数がふえレッド・ロックヘロインのダイムバックをうつようになった。
疲労した「からだ」に休息を与え、すさんだ彼女の「こころ」を慰め、一時的に不遇な彼女を救うようにみえたヘロインは、一層窮地へと彼女を追い込んでいったようだ。彼女の場合、精神的にも、肉体的にも麻薬への依存度を強くしてしまった。彼女は中等程度の中毒で逮捕されたが、そのままヘロインを使用していたら最後には麻薬を入手して連続使用することだけが生活の全てになる一歩手前だった。(昭和48年10月1日付琉球新報夕刊3面)