思わず突っ込んでしまった明治時代の記事を紹介するよ

今回は明治36年の琉球新報から突っ込まざるを得ない記事を紹介します。同年3月に起こった “人類館事件” に関する記事をチェックした際にまたもやじわじわくる記事を発見しました。

人類館事件については史料をチェックした上で後日記事をアップ予定ですが、100年前の新聞記事には現代の常識では考えられない表現が散見されています。例えば尾類(ジュリ)のことを “劣等婦人” などと表現していて、現代のポリコレ警察が激怒しそうなパワーワードが頻繁に登場します。当時は表現がゆるゆるだなと実感しながら記事を読み進めると、さすがのブログ主も一瞬目が点になった記事に遭遇しました。

第五回内国勧業博覧会(以下博覧会)の館外に神戸の商人が “人類館” を設置し、世界各地の人種を招待・陳列するという企画展が物議をかもしますが、彼等が来日して人類館に到着した記事全文を書き写しました。読者のみなさん、是非ご参照ください。(ただし旧漢字は訂正し、句読点を追加しています)

〇人類館雑俎 / 新来人種

印度キリン人種七名(女二名)

爪哇人(ジャワ)人種二名、土耳其(トルコ)人種一名、阿弗利加(アフリカ)人種一名は去五日夜人類館に到着せり。印度キリン人種が布一枚を纏うて赭色(=黄土色)の皮膚を露はし寒気に堪へず戦慄せる様、土耳其人種が昼餐に椎茸を豚肉なりと思ひ宗教上之を忌み嫌うて喋々喃々(ちょうちょうなんなん)コツクの支那人に迫る様なぞ同館内一種の異彩を添えり。聞く印度キリン人種は特異の舞踏を演ずる由にて、之に伴ふ器具服裝等夥多(おびただしく)齎し、先日の如き室内に団楽して印度文字にて印刷せる歌の本を見ながら一人は顎より横長き太鼓を下げて指先にて敲き、一人は金属製の小皿の如きものを打ち合せ、他は掌を打鳴らして節可笑しく唄ひ、少女は毛布を被りて踊るなんど最愉快らしく、是れを亦不思議さうに台湾人やアイヌが覗きに来て館内の人気を集め居たりと大阪朝日は報ず。(明治36年4月11日付琉球新報3面)

この記事を見た瞬間に、

印度キリン人種ってインドのどこから連れて来たんかい!

と思いっきり図書館で突っ込みを入れたブログ主であります。(終わり)