今日は我が沖縄が本土に復帰して50周年の記念日ですが、今回は復帰に絡んでアシバーの起こした行動が結果的に沖縄社会の安定に寄与した奇妙なエピソードを紹介します。そのアシバーの名前は、
座安久市(ざやす・きゅういち、久一と記されるケースあり)さんで、彼は昭和52年(1977)当時、二代目旭琉会で理事長を務めた人物として知られています(経歴の詳細説明は割愛させていただきます)。
そんな彼が、復帰前の沖縄の裁判をそのまま継承することにした「沖縄復帰に伴う特別措置法(以下復帰特別措置法)」の規定(同法27条)は沖縄県民を差別し、憲法31条に違反すると上告した案件があります。昭和48年(1973)9月12日付琉球新報夕刊の記事全文をアップしますので、読者のみなさん是非ご参照ください。
「復帰特別措置法」は合憲
最高裁が初判断
復帰前の沖縄の裁判をそのまま継承することにした「沖縄復帰に伴う特別措置法」の規定は沖縄県民を差別し、適正手続きを保障した憲法31条に違反するか – で争われていた沖縄の暴力団殴り込み事件の上告審で、最高裁大法廷(村上朝一裁判長)は12日午前「憲法に違反しない」との判断を示し、被告に上告棄却の判決を言い渡した。同法の合憲性が最高裁で認められたのは初めて。
暴力団事件の上告を棄却
上告していたのは、那覇市首里崎山町4の61、元暴力団員座安久市(39)。判決によると、座安は41年5月から7月の間、3回にわたり仲間と共謀のうえ、他派暴力団が経営するコザ市内などのパチンコ店や商事会社に殴り込みをかけたほか、米国製機関銃、カービン銃、ピストル各2丁を不法所持したいたため沖縄刑法の威力業務妨害罪などに問われ、沖縄復帰直前の45年3月、那覇地裁コザ支部で懲役2年6月の実刑判決を受けた。
座安は量刑不当などを理由に琉球高裁(当時)に上訴したが復帰後、特別措置法によって同事件は自動的に福岡高裁那覇支部に控訴審として係属することになり、47年11月「その後、暴力団から足を洗い、正業についている」として懲役1年6月の減刑判決が言い渡された。これに対し座安は「復帰前の沖縄の刑事手続きは日本国憲法に照らし、十分に人権を保障していないから、裁判は一審からやり直すべきだ。復帰前の一審判決を有効とする特別措置法26 – 28条の規定は、沖縄県民を不当に差別し “審級の利益” を奪うもので適正手続きを保障した憲法31条に違反する」と上告した。
この日の判決は、15裁判官全員一致で「復帰前の沖縄で適用された一審の規定は、本土の規定と比べて手続き、内容とも実質的な差異は全くなく、万一復帰前の刑事手続きにかし(瑕疵)があった場合は、本土の法令による救済の道は開かれている。したがって特別措置法の規定が沖縄県民を差別し、審級(裁判所間の審判の順序関係)の利益を損なう不合理なものとはいえない」と述べている。(昭和48年9月12日付琉球新報夕刊1面)
訴えの中で座安さんは「復帰前の沖縄の刑事手続きは日本国憲法に照らし、十分に人権を保障していないから、裁判は一審からやり直すべきだ。」と主張してますが、これはホントの話で、復帰前の琉球警察の教養レベルは本土警察に比べると著しく低かったのです。
その傍証として、『沖縄ヤクザ50年戦争』(洋泉社ムック)で花城松一さんが「琉球警察の場合、取り調べ室に入るや否やタックルが飛んでくる。本土で捕まったときはそんなことはなかった」と証言してます。座安さんの場合も(本土に比べて)適正に取り調べを行われていなかった可能性があり、だから復帰後にもう一度裁判をやり直せと彼が主張するのも一理あります。
残念ながら座安さんの訴えは退けられてしまいますが、仮に違憲判決が出てしまったら、沖縄ではやり直し裁判が続出したはずで、行政の混乱は計り知れない状態になったかもしれません。昭和44年(1969)年11月の佐藤・ニクソン共同声明以降、沖縄の復帰準備は急ピッチで進められてきた現状があり、復帰後に予期せぬトラブルが起こる可能性は否定できなかったのです。
座安さんの上訴に対して最高裁判所が「復帰特措法」は合憲との判断を示したことで、県の行政、特に裁判関連はスムーズに審理を進められるようになったのです。結果として彼の行動が沖縄社会の安定に大きく寄与した事実は動かせません。沖縄県庁と政府は内心ホッとしたはずです。
もうひとつこの案件で極めて興味深かったのが、沖縄二紙の取扱いの違いです。琉球新報は夕刊1面トップで大々的に報道しましたが、沖縄タイムスは同日夕刊の3面の隅に掲載しただけです。記事の内容はほぼ一緒ですが、つまり琉球新報の方がこの判例の沖縄社会における影響力の大きさを正しく理解していたわけです。
そして、
沖縄タイムス編集局はこのときからズレていたんだな
と痛感しました。
ブログ主は(彼が望んだ結果ではありませんが)、復帰後の沖縄社会に与えた影響力の大きさを評価して、今回紹介した座安久市さんのエピソードは琉球・沖縄現代史のトピック(話題)として歴史書に明記すべきと確信した次第であります(終わり)。