当ブログ始まって以来のスクープ案件

本日ブログ主は何気に昭和27年(1952年)10月の琉球新報記事をチェックしていたところ、一際目を引く記事を発見しました。当ブログは平成28年(2016年)5月19日に開始して2年以上経過、その間数多の史料を閲覧および記事として配信してきました。その中でも今回発見した記事は最高レベルのスクープであること間違いありません。ブログ主が知る限りでは初めて確認した案件です、読者の皆さん是非ご参照ください。

1952年10月1日付琉球新報

鶏姦事件 – 原審破棄さる

那覇市二区一四組ピアノ教師名城潔士(四一)にかかる強制ワイセツ致傷上訴被告事件は二十六日午前上訴才仲松才判長富山松島三事、河内検事立合で審理原審破棄、中央巡才に差し戻しの判決を下した、これは名城が街の不良児を自宅に引張りこみワイセツ行為をし、逃げるところを水筒を投げつけた事件で、那覇治才では強制ワイセツ並傷害で懲役七カ月の判決を下したが、被告が不服上訴した、中巡才ではこれを強制ワイセツ致傷と認定しながら不利益変更の禁止規定に拘わそて〔原文ママ〕同じく懲役七カ月に判決したが、上訴才ではこの場合中央巡才がその管理権にあると認定した場合、不利益普及の規定にとらわれる必要はないとの理由で破棄したもの

 

以前当ブログでも言及しましたが、琉球・沖縄の歴史において”男色”が文化あるいは慣習として入って来ませんでした。だがしかし個人レベルでは同性愛者が存在したことを上記引用は証明しています。

歴史上確認できる男色愛好家は奈良原繁氏ですが、上記のピアノ教師はおそらく”沖縄県人で確認できる男色愛好家第一号”の可能性があります。ただ残念なことに、この鶏姦事件が何時何処で起きたかの記事を見つけることはできませんでした。事件そのものは児童虐待および強姦に相当する卑劣な所業ですが、何事も”第一号”は貴重です。不名誉極まりないことではありますが名城潔士さんは(暫定ですが)”沖縄県人初の男色愛好家”として当ブログにて末永く語りつがれることは間違いありません。

県内最古の新聞記事は明治31年(1898年)4月1日の琉球新報ですが、もしかすると他にも鶏姦事件を起こした不埒な輩がいるかもしれません。見つけ次第当ブログにて紹介することを約束して今回の記事を終えます。