平成と新元号の時代

今回はちょっと真面目にブログ主なりに平成の時代をふりかえり、そして新元号の時代はどのような社会になるかについて言及します。我が沖縄社会における平成の一大事件の一つに天皇陛下のご来島(平成5年4月23日から26日)があります。ブログ主は当時の新聞をチェックしましたが、印象に残っているのが第44回植樹祭への天皇・皇后両陛下のご臨席を要請したのが大田昌秀知事であったことです。

昭和の時代において天皇陛下のご来島を要請する報道が流れると、民主団体(沖教祖や労組など)が猛烈に反対するのが常でした。そのおかげで昭和47年の植樹祭の際には昭和天皇のご臨席は実現せず、昭和60年10月に当時の西銘知事が海邦国体へ昭和天皇のご臨席を要請したニュースがながれると、過激派によって自宅車庫が放火される事件すら発生しています。

平成の御代になると、天皇・皇后両陛下の行幸啓は計6回ありましたが、ブログ主が調べた限りでは革新団体が過剰警備にいちゃもんをつける程度の騒ぎしか確認できません。つまり県民は総じて天皇・皇后の行幸啓を大歓迎していたわけで、このことは沖縄県民が日本復帰を高く評価していたことの何よりの証拠になります。この点については以前に当ブログで記事にしましたので今回は詳しく言及しません。

ちなみに沖縄にとっての一番の悪夢は平成21年(2009年)9月16日の鳩山由紀夫内閣の誕生で間違いないでしょう。もはや説明不要ですが、鳩山内閣のおかげで普天間基地の辺野古移設問題は解決不能なまでに拗れてしまったのです。この問題の解決は新元号時代に持ち越された形ですが、ハッキリ言って鳩山政権下での日米合意に従って移設計画を進めるしか解決方法はありません。そのことを理解しつつも反対運動せざるを得ない人たちは新元号時代には沖縄社会から居場所を徐々に失うのではないか、とブログ主は予想しています。

新元号時代は規範の一元化が進行する

ここまで平成の時代を簡単に振り返りましたが、では新元号時代はどのような社会になるかと言えば、ブログ主は規範の一元化が社会の隅々までいきわたる時代になると予想しています。昭和の時代と平成の時代の大きな違いの一つに、平成時代の日本人は現在の社会秩序に強い自信を持っていることが挙げられます。つまり所属団体や地域共同体のシキタリと社会全体の秩序が衝突した場合に、昭和の時代であればシキタリを優先しますが、平成の時代になると社会秩序を優先するようになったのです。

象徴的なのが日産のカルロス・ゴーン元CEO(社長兼最高経営責任者)の逮捕劇です。昭和の時代であれば日産を立て直した彼の逮捕はまずありえません。そんな彼ですら公序良俗に反する行為が咎められ日産を追い出された事件は、昭和と平成との時代の移り変わりを示す最良の傍証と言えます。

つまり新元号時代は、所属団体や地域共同体のシキタリを優先するイコールその団体や地域共同体を破滅に導く恐れがあるのです。もちろん団体や地域のシキタリと現在の社会秩序と折り合いがつけば無問題ですが、社会秩序と対立するケースではシキタリを優先しないこと、そのことが団体や共同体のトップに求められる資質になります。

しかもクラウド化とAIの普及で社会規範の一元化がものすごい速さで進行する可能性すらあります。そうなると”社会の一元化・画一化”を招くのではとの危惧がありますが、ブログ主はそれはないと判断しています。一元化が進行するのはあくまで社会規範であって思想・心情に関しては「内面の良心の自由」が最も大切な人権として手厚く保護されること間違いないからです。

新元号時代になって一番生き抜くのが難しいのは

余談ですが琉球・沖縄社会において自前で信用社会を形成したことは一度もありません。高度の信用社会の形成は大日本帝国時代の大正10年(1921年)の普通町村制への移行から沖縄戦終結の昭和20年(1945年)9月までの20年余りと、昭和47年(1972年)5月15日の本土復帰から現在にかけての47年だけです。それ故に社会全体の規範の一元化には心理的に抵抗がある人たちもいるかもしれません。

沖縄人の島国根性など揶揄される視野の狭さは、過去に自力で信用社会を形成したことがないことに由来します。ハッキリいってそれ以外に理由はありません。そのため所属している団体や共同体のシキタリと社会全体の規範が衝突した際に、未だにシキタリを優先する人が沖縄社会には多い、これは否定できません。

そしてそういう思考のひとたちが新元号時代になって一番生き抜くのが難しい人種になります。ブログ主は、そういう人種や団体と見做した場合は速やかに手を引くこと、それが我が沖縄社会を生き抜くための必要不可欠な能力になると確信しています。あえて名指しはしませんが、そういう連中がいまだに沖縄社会に一定の影響力を持っていることが真の悲劇であり、一日も早く新しい時代に適応する人達が社会の主流になることを願ってやみません。(終わり)