唐突ですが、なんとなくゆるい記事を書きたいとの思いつきから、今回は小渡三郎(おど・さぶろう)さんのエピソードを掲載します。ちなみにこの人、追悼録を読むと打線が組めるほどエピソードが豊富ですが、今回はその中のひとつで昭和19(1944)年に海軍兵学校を受験するために鹿児島で起こした事件を紹介します。
(中略)このような彼の語りで強く印象に残っていることは、彼が海軍兵学校受験のため、鹿児島に来た時、個々、島津の殿様の銅像に投石をしていた処、巡査につかまり留置された。その時十八歳であった小渡と取調官とのやりとりである。
取締官「君は何故、島津公の銅像に投石したか。」
小渡「島津藩は琉球を搾取した歴史がある。その為に島民は苦しんだのだ。腹が立つので投石した。」
取締官「君は投石する為に鹿児島に来たのか。」
小渡「違う。海軍兵学校の受験に来たのだ。」
取締官「試験は終わったのか。」
小渡「明日から始まるが留置されたからもう駄目だ。」
取締官「君の心情は良く解った。只今君を釈放する。首尾良く合格し国家の為御奉公されんことを祈る。」
以上が話の要旨である。小渡はこの時の取調官に一度会って礼を言いたく調査したが見付からないと言っていた。(『追悼 小渡三郎』 136-137㌻より抜粋)
ちなみに、小渡三郎さんは昭和21年8月に沖縄に戻ってきた後、米軍より「海軍兵学校に入学していた」という理由で乗船実習は一度もしていないにも拘らず船長さんをやらされたという無茶区茶な話もあります。(あと奥さんに一目ぼれして無理やりくどき落とした等)とにかくメンタルの強さがおかしすぎるレベルで、後日その他エピソードは記事にする予定です。