1年ほど前(2016.06.17)に元八重山商工の監督であった伊志嶺吉盛さんの勇退について記事を掲載しました。奇しくも今回は宮古島在住の無名エリートが成し遂げた快挙について掲載します。その人の名は知念健次さん(54)、現在宮古工業、宮古総実でボクシングの指導をされています。
2013年のインターハイに彼の教え子である比嘉大吾選手が、県総体で優勝して全国大会に出場。ベスト8で敗退しましたが、比嘉選手はその後プロに転向してデビューから12戦連続KO勝ち、そして2017年5月20日のWBC世界フライ級タイトルマッチにおいても6回KOで勝利して、世界王者奪取および13連続KOの快挙を成し遂げます。
知念さんは10年以上宮古島にてボクシングの指導をされていますが、教え子には実子で宮古島発の県チャンピオンになった知念健太朗選手(08年)、11年のインターハイで準優勝したジュリアン・ジョンソン選手(現沖水教諭)などがいます。彼は「離島の学校でも、努力すれば日本一になれると証明したい。バカにでも何でもなるよ」とおっしゃっていましたが、日本一どころか教え子から世界チャンピオンが誕生します。
知念さんも伊志嶺さんと同様エリートです。学歴や社会的地位などは関係ありません。「己の使命を全うするために生きる人」で、人として最も尊い生き方をされているとも言えます。そして誰もが納得をする結果も残してくれました。ブログ主は敬意を込めて今回の記事を掲載します。そして一日も早く宮古島から日本一の選手が誕生する日が来ることを願って止みません。
「名伯楽のミット ボクシング王国・沖縄 金城眞吉の道」(磯野直著、沖縄タイムス社刊行)より抜粋。
知念健次㊤ 6階級制覇 一翼担う
宮古島での中学時代、ケンカ番長で鳴らした知念健次は1978年、沖縄水産高に入学すると、本島で言葉の壁にぶつかった。
「先輩に『クーワッ(来い)』と言われ、クワを持って行ったらボコボコにされた。沖縄の言葉が分からず、毎日嫌なことが続いて学校に行かなくなった」
2年の時、ボクシング部監督の川上栄秀から「学校に来ない生徒は集まれ。スパーリングをする」と招集がかかった。当時から体は大きかったため、九州王者だった主将とほぼ互角のスパー。白羽の矢が立ち、強制的に入部させられた。
「81年の県総体で僕はスーパーヘビー級に出場し、相手がいないから認定優勝だった。公式戦を1試合もしていないのに、九州総体出場が決まった」
九州大会前、代表選手の士気を高めるため、学校の枠を超えて行われた合同練習。各階級の優勝・準優勝者が興南に集められ、1選手に2人の指導者がつく中、ひときわ異彩を放ったのが金城眞吉だった。
「『ヤマトゥー、タックルセー』と、すごい激が飛ぶんだよ。他の先生も同じことを言うけど、金城先生は教師じゃないから誰よりも大声でストレート。陰で『俺は教員が嫌いだから』とも言っていたな」
合同練習全体に目を光らせていた金城は、他校の選手にはほとんど何も言わなかった。だが、力任せなスパーリングをする知念には「打たせずに打て!」「打たれて打ち返すのはケンカ。打たせずに打つのがボクシングだよ!」と助言した。
「言ってもらえるのがうれしかったよ『具志堅用高を育てた金城先生に言われた』ってね」
九州大会初戦、知念は前年の総体準優勝選手に初回56秒でKO勝ちし、公式戦デビュー。九州王者になり、山梨県で開かれた全国高校総体では4戦全KO勝ちで日本一の栄冠に輝いた。この大会で沖縄勢は、13階級中6階級を制覇する史上初の快挙をやってのけた。
「金城先生の『ヤマトゥー、クルセ!』で火を付けられたから、俺たちは6階級制覇できた。さらに準優勝に1人、3位に1人。本当にすごい時代だったな」
知念健次㊦ 夢は離島校から王者
沖水高を卒業した知念健次はプロ転向し、日本ジュニアミドル級1位になった。引退した約20年前、故郷・宮古島に戻り、ラーメン店を開業。ボクシングとは無縁の暮らしを送っていたが、長男の健太朗が宮古工高で始めたのを機に、ミットを持ち始めた。
2007年11月、県新人選手権に同行すると、会場には沖水監督の川上栄秀、そして沖尚監督の金城眞吉がいた。
「20年以上ご無沙汰していたけれど、まだがんばっているんだなと驚いたよ。年は取っていたけれどね」
健太朗は新人選手権ミドル級を制し、08年6月の県総体でも優勝。宮古の学校から初の県王者になった。
宮古工、宮古総実の選手に対する知念の指導は過熱する。大会前は約2週間、ラーメン店の畳間に寝泊りをさせて合同合宿。過酷なのは、毎朝5時から砂浜を含めた15キロの走り込みだ。
「経験豊富な沖縄本島の選手に勝つには走り込むしかない。あれだけ走ったのだから、負けるはずがないという自信をたたき込むんだ」
昨年6月(2013)の県総体で、3階級を制した宮古勢。ピン級の狩俣綾汰(宮古総)、ライトフライの川満俊輝(宮古工)、フライの比嘉大吾(同)は「走り込みが地獄で、引退しようかと考えたほど。でも、試合では楽に動けた」と声をそろえた。
試合当日の朝、那覇市内のホテル前に選手を並ばせ、度胸試しに歌を歌わせてから会場に向かう。試合中、選手が劣勢になると、「アララガマ!」との怒号が何度も会場に響き渡る。
「離島の子は県大会でも飛行機代、滞在費などで親に金を使わせてしまうし、全国なら大変な出費。だからこそ『絶対に負けるな』とハッパを掛けるんだ」
遠征中、知念もパートを雇うなどして店の急場をしのぐ。若き日の金城と同じく、身銭を切りながら選手を育てる日々だ。「最近、妻に『いつまでやるの?』と言われる…」と頭をかく。
「金城先生はボクシングバカ。でもさ、俺は離島の学校でも、努力すれば日本一になれると証明したい。バカにでも何でもなるよ」
金城は県内の指導から身を引いたが、「眞吉流」の心意気は宮古島で熱く受け継がれている。
【関連リンクサイト】
宮工ボクシング部監督 知念健次さん(48歳)
http://www.miyakomainichi.com/2011/08/22624/
アララガマ魂見せつける 全国総体ボクシング 宮古勢3人出場
http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-210160.html
原点は宮古島 ボクシング比嘉にもう一人の師匠
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-507977.html
比嘉大吾、恩師と抱き合う 宮古島に凱旋