孟子の一節(梁恵王章句下)

先日、孟子〈上〉(岩波文庫)- 小林勝人訳注を読んでいる最中に、ハタとひらめいた一節がありましたので、紹介します。先ずは全文(読み下し文、現代語訳)をご参照ください。

(読み下し文)孟子斉(せい)の宜王(せんのう)に謂(かた)りて曰く、王の臣、其の妻子を其の友に託(たく)し、楚に之(ゆ)きて遊ぶ者有らんに、その反(かえ)るに比(およ)びて、則ち其の妻子を凍餒(とうたい)せしむれば、則ち如之何に(いかに)すべき、王曰く、之を棄てん。曰く、士師(しし)、士を治むること能はずんば、則ち如之何にすべき。王曰く、之を已(や)めん。曰く、四境(しきょう)の内治まらずんば、則ち如之何にすべき。王左右を顧みて他(よそごと)を言えり。

(現代語訳)孟子が斉の宜王に向かっていわれた。「王様のご家来のなかに遠く楚の国にゆくので、『留守中なにぶんよろしく頼む』といって、自分の妻子の世話を〔十分にお金を添えて〕親しい友人に頼んでいった者が仮りにあるとします。ところが帰ってきて見れば、その妻子をさっぱり世話をしないので、飢えかつ凍えていたなら、この友達をどうなさいます。」王はいわれた。「もちろん、そんな者は見棄てて用いない。」孟子は更にいわれた。「では、〔裁判の長官である〕士師が無能で、自分の部下の士(やくにん)も取り締まれず、刑罰が乱れたとしたら、どうなさいます。」王はこたえられた。「もちろん、そんな者はやめさせてしまう、」孟子はここぞとばかりにいわれた。「では、一国の君主として、国内がよく治まらないときには、どうなさいます。」王はハタと返事に困り〔聞こえないふりをして〕おそばの家来と別の話をしてごまかしてしまわれた。(梁恵王章句下 86~87㌻)

ちなみにこの話は有名ですが、上記の読み下し文にある「四境の内治まらずんば、則ち如之何にすべき(では、一国の君主として、国内がよく治まらないときには、どうなさいます)」の一文に対し、ブログ主はおもわず「尚泰王の時代じゃねぇか!」と突っ込んでしまいました。

ちなみに尚泰王時代の琉球国(あるいは琉球藩)は

・王国内の間切がほとんど「破産状態」、球陽には「お手入れ」の話のオンパレード。(ちなみにお手入れとは破産した間切を立て直すため、王府から役人を派遣して間切再建を図ること)

・米国、フランスなどの海外勢が通商を求められて(というか強要)、外交で四苦八苦。

・牧志恩河(まきし・おんが)事件という王府内において悲惨な政争が発生。

・文替わり(銅銭と鉄銭の交換比率の変更)によりハイパーインフレが発生して、国の経済が絶賛崩壊中。

であり(まだまだあるけど割愛)、理想的な「四境の内治まらずんば」の状態でした。孟子流に言えば、「薄情な友人や無能な役人を用いないように、国家をまともに経営できないトップ(王)は退場すべき」であって、その観点からすると明治12年(1879年)の廃藩置県において琉球藩を廃して沖縄県を設置した明治政府には「グッジョブ!」と言わざるを得ません。

廃藩置県(あるいは琉球処分)については侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論がありますが、少なくとも琉球処分は国際法違反だの、明治政府の敗北だの唱えている人たちは、孟子流の平等思想のセンスに欠ける連中であること間違いありません。そしてそのような人たちはおそらく“平等”について真剣に考えていないんだなと思いつつ、今回の記事を終えます。