我が琉球・沖縄の歴史において、大正9(1920)年は特別な年になります。今年で100周年を迎えますが、意外にもこの年に何が起こったかを知らない県民があまりにも多いのでブログ主が簡単に説明します。
大正9(1920)年の4月に明治41(1908)年から施行されていた島嶼町村制度(特別の地方自治制度の理解でかまいません)が改正され、その結果我が琉球・沖縄の歴史において、
本島の住民と離島(宮古・八重山など)の住民が歴史上初めて同一の政治的権利・義務を有する
ことになります。つまり先に行なわれた土地整理事業(明治32~36)および一連の制度改革の終点として、本島出身者と離島住民が名実ともに”同じ沖縄県人”として取り扱われるようになったのは、実は大正9(1920)年が始めてなのです。
この案件は琉球・沖縄史における空前絶後の制度改革と言っても過言ではなく、そしてこの年を基点として我が沖縄における”内なる差別”が解消に向って動き出すのです。そして本島・離島民ともに”沖縄県民”として同等の政治権利・義務を負う精神はアメリカ世時代も、復帰後も受け継がれます。
ブログ主は大日本帝国時代の最大の遺産のひとつとして、大正9(1920)年の島嶼町村制度の改正を極めて重視しています。この制度改革がなかったら、アメラジアンである玉城デニー氏が民選知事として就任することはなかったですし、現在も本島と離島間の”内なる差別”が社会慣習として残っていたのかもしれません。
ブログ主が極めて不満に思うことのひとつに、上記の制度改革の意義が現在の沖縄の歴史認識において無視に近い扱いを受けていることです。ことしで100周年なので、何か記念式典や特集記事などを連載してもよさそうですがそんな動きは全くありません。歴史認識のゆがみというより
本島出身者の宮古・八重山などの離島出身者に対する傲慢な本音が見え隠れ
して、同じ本島出身者のブログ主は複雑な思いを抱く今日この頃です。(終わり)