大島出身者の悲劇

先日ブログ主は戦後の新聞(うるま新報ほか)をチェック中に、気になる社説を見つけました。原文をそのまま書き写しましたので是非ご参照ください。

*社説に「先發の壷屋における殺人事件なども」とありますが、これは昭和26(1951)年1月13日に壷屋で発生した一家惨殺事件のこと(壷屋強盗殺人事件)。

1951年3月8日付、うるま新報社説

大島出身者の統合

石川市在住の大島出身者が、あまみ同好会を組織して、共助の精神で道義の高揚、警察との防犯体制に協力し明朗沖縄の建設に貢献することを申合したことは、讀者に涙ぐましい印象を與えるものがあつた。

殺人、ごう盗、窃盗等と戦後、頻發した事件にかず多くの大島出身者の名前が見受けられることは事実である。先發の壷屋における殺人事件なども、宮古出身者と密航日本人によつて行われたのであつたが、事件直後の人々の噂では「大島」だろうという話が聞えた。事實でない事まで大島出しん者におつ被せるほど大島出身者は名譽を失墜しているし、また沖繩住民一ぱんの印象も「惡い」ことに決めているのである。

大島が戦後、経済的行詰りで就職難に伴う生活苦から沖繩に送り出されているがその數は三、四万だと推定されている。

戦後の沖縄の事情が不めいなところから無鉄砲にやつて來たはずであるが、海の彼方に何かよいことがあろうと思うのは人間の弱点であり、戦前も自営出來なかつた沖繩にしかも戦後、外國や南洋からき還した人々がスシ詰めに押込まれているのだから直ぐ各種犯罪の溫床となるのは當然である。

しかし犯罪の發生が當然だといつても、犯罪そのものについては警察当局が、取締りを嚴にしなければならないことは言うまでもない。また沖繩や大島の兩群島政府でも、これらの問題の解決が困難であろうとも充分な對策を構て二段、三段と總(凡)ゆる措置を講じ、放置された人々や靑少年を正しい生活、正しい道に引き戻すべきことも、また言うまでもないことである。

石川市在住の大島出身者が、住民としての自覚を喚起して自分の子弟、同郷の人を、共助し善導しようとすることは大きな意義をもつものとして賛意を表したい賤(貧)しいから盗むということは、如何なる場合でも正しいことでなく、許されるべきことでもない。また自らを善くしようという意欲と努力がなければ人間としても社會人としても救われるものでない。このことは沖繩自体にも言えることで、琉球諸島の自営と建設のために大島の人々が、住民として健全な新らしい一歩を踏出すことを希望する。

説明不要かと思いますが、戦後沖縄社会における大島出身者のイメージが最悪だったことを暗示している内容です。ちなみに数日後のうるま新報では「大島出身者の窃盗団」が逮捕されたニュースを大々的に報じていましたので、犯罪に手を染める不逞の輩が一定数存在していたことは間違いありません。だがしかし当然真面目に働いている大島出身者もいるわけで、何故にここまでイメージが悪くなったのでしょうか。

神里原殺人事件が決定打

実は大島出身者のイメージが決定的に悪くなった事件があります。それは昭和25(1950)年11月21日深夜に神里原(かんざとばる)で発生した殺人事件で、事件の概要は当時盛場で有名だった神里原(いまの国際通りから開南に抜けるあたり)で、泥酔した二人組の男性がもう二人組の男性と喧嘩騒ぎになり、そのうちの一人が刃物で刺されて死亡した事件です。

ちなみに主犯格の男性は沖縄本島から奄美大島へ逃亡しますが、同年11月29日に逮捕されます(もう一人の小禄出身の男性は先に逮捕されていた)。刃物(ドス)で刺殺という凶悪事件の主犯が奄美大島出身者で、しかも前科一犯であったことが新聞報道で大々的に報道されたことが決定打となって沖縄社会における奄美大島出身者のイメージを著しく貶めてしまったのです。

君子は下流に居ることを悪(にく)む

論語巻第十 子張第十九

子貢が曰く、紂の不善や、是くの如くこれ甚だしからざるなり。是を以て君子は下流に居ることを悪む。天下の悪皆な焉に帰す。

引用:金谷治訳注『論語』(岩波書店)

論語の有名な一句ですが、その内容は「殷の紂(ちゅう)王はそれほどひどいわけではない。ただし彼が犯した悪事によって下流におちこんだので、後から事実以上の大悪人にしたてあげられてしまったのだ。だから君子は下流にいるのをいやがる。世界中の悪事がみな集まってしまうからだ。」になります。そこから転じて、「いったんついた汚名は返上することは難しい、だから行動はつつしまなければならない」になります。

上記の論語の一説は、まさに戦後の大島出身者の社会的立場そのものです。アメリカ世の時代に大島出身者のことを “大島小(オオシマグヮ~)” 呼び毛嫌いする本島人が多くいましたが、その原点は偶発的に発生した殺人事件といっても過言ではありません。一つの過ちが結果として「社会のすべての悪事を背負う」ことになってしまったのです。まさに悲劇としかいいようがありません。

この教訓は現代沖縄県民にとっても有効です。いったん社会に定着したレッテルによって日本国内の悪事を背負う悲劇を避けるべく、我が沖縄県民はいかに振る舞うべきか常に検討しなければなりません。「差別ガー」とか「中国ガー」とか唱える前に我々は己の足元を見つめなおす時が来ている、アメリカ世時代の大島出身者の境遇はブログ主にそう訴えているように思わざるを得ないのです。(終わり)