本日ブログ主は沖縄県立図書館にてとある事件関連の新聞記事をチェック中、偶然にもじわじわくる記事を発見しました。昭和48(1973)年11月14日付琉球新報夕刊3面に高名な作家の “得度式” に関する小さな記事が掲載されていましたが、ちなみにこのお方は令和2年においても存命でしかも現役で活動をされています。
記事によると作家として成功しているにも関わらず、50歳を超えての出家はまさに “天命を知る(論語)” の言がぴったりです。新しい自分を確立するために、在家信者として生きる決意は凡人の及ぶところではなく、令和の今日ではおそらく
至高
という言葉にふさわしい人物になっているのではと思わざるを得ないブログ主であります。前振りが長くなりましたが、記事全文を書き写しましたので読者のみなさん是非ご参照ください。
【平泉=岩手県】作家瀬戸内晴美さん(五一)が十四日朝、初冬の色濃い東北・平泉の中尊寺で得度受戒の儀式を受け、てい髪の尼僧となった。今後は
法名を「寂聴(じゃくちょう)」
と名乗り、在家のまま仏道の人となる。
「夏の終り」「女徳」「煩悩夢幻(ぼんのうむげん)」など女の愛と哀(かな)しみをえがく人生図絵や、大杉栄とともに虐殺された伊藤野枝、朝鮮人朴烈とともに革命に命をかけた金子文子 – といった明治・大正期の女性革命家たちをえがいた作品など、多彩な文筆活動でもひときわ華やかな存在とみられていた瀬戸内さんだが、それらの作品の主人公たちの烈(はげ)しい生きざまに似たきっぱりした変身である。末世、終末の声高いこのころ、現代の在り方を問いかける一石として波紋を呼ぼう。
得度式は同日午前十時から東京・上野寛永寺の貫主杉谷義周大僧正が戒師となり、比叡山延暦寺(えんりゃくじ)の誉田玄照師ら天台宗の僧多数の読経のうちに厳かに進められ、黒髪がそり落とされた。予定では中尊寺貫主今春聴大僧正(作家・参院議員今東光氏)が戒師となるはずだったが、今氏が病気入院中のため杉谷師が代行、式は約二時間で終った。
得度を前に、瀬戸内さんが語ったところによると、出家の思いはかなり以前から温めていたもので、決断したのはことし春だったという。
「五十歳を過ぎ、自分の精神にアカがついてきたように思う。ここで一度自分自身を解体し、新しい自分を採りたいという欲求が日増しに強まっていた」
のだそうだ。
引用元:昭和48年11月14日付琉球新報夕刊03面