先日(6月18日)、唐突ではありますがブログ主は我が宜野湾市喜友名にある石獅子群をチェックしようと思い立ち、今回はそのときの散策記事を掲載します。
ちなみに平成27年(2015)に喜友名区自治会から発行された地元史『喜友名誌 ちゅんなー』によると、これら石獅子は「村落獅子」に分類、喜友名集落が碁盤型集落になったのは1737年以降のためおそらく18世紀ごろに作られたのではと記載があります。喜友名の石獅子に関する詳細な説明は後日史料として当ブログで掲載しますので、今回は先に7対のシーサーめぐりの記事をアップします。地元史好きの読者のみなさん、是非ご参照ください。
・普天間から県道81号線を下ると国道58号線に抜けますが、その途中に「サンエー喜友名店」の左折看板があります。看板から数十メートル移動して左折すると、宜野湾市が設置した(喜友名石獅子群に関する)石碑があります。
・宜野湾市教育委員会が設置した石獅子の写真、説明および現在地が明記された石碑です。
・石獅子が設置された場所の拡大図です。今回は①から⑦のルートで散策しました。
① メー・トーヤマ・メー〔前當山前〕のシーサーです(坂道上がる手前左側にあり)。このシーサーは『喜友名誌 ちゅんなー』によると地中に埋もれたところを道路工事によって発掘されたとのこと。平成25年(2013年)3月に市指定文化遺産に追加指定されました。
・メー・トーヤマ・メー〔前當山前〕のシーサーが設置されている箇所を後にして坂道を少し登ると、数十メートル先に喜友名石獅子群の誘導看板があります。
② ナカムトゥ・メー〔仲元前〕のシーサーです。メー・トーヤマ・メー〔前當山前〕のシーサーに比べると原型を留めていることがお分かりでしょうか。
・メン・トー・メー〔前ン当前〕のシーサーは実にわかりにくい場所にありました。
③ メン・トー・メー〔前ン当前〕のシーサーです。一見蛙に見えますが、正面を見ると確かにシーサーの面影を残しています。
・メー・マシチ・メー〔前眞志喜前〕のシーサーに移動します。集落内なので道がすこしわかりにくいです。
④ メー・マシチ・メー〔前眞志喜前〕のシーサーです。正面を見るとかすかにシーサーの面影を残している感じです。
・クラニー・グヮー・メー〔蔵根小前〕のシーサーが設置されている箇所に移動します。
⑤ クラニー・グヮー・メー〔蔵根小前〕のシーサーです。『喜友名誌 ちゅんなー』によるとこの石獅子だけは部落内に設置されたとの記述があります。
⑥ イリー・グヮー・メー〔伊礼小前〕のシーサーです。この石獅子はなんとなくアザラシのように見えますが気のせいでしょうか。
・トゥク・イリー・グヮー・メー〔徳伊礼小前〕のシーサーが設置されている場所へ移動します。我が母校であるシオン幼稚園前の十字路のところにありました。
⑦ トゥク・イリー・グヮー・メー〔徳伊礼小前〕のシーサーです。『喜友名誌 ちゅんなー』によると、この石獅子は置かれている場所が何回か変わったと記述がありました。他6体のシーサーにくらべると最も原型を留めていると感じました。
いかがでしょうか。宜野湾市教育委員会の石碑をたよりに散策すると大雑把にいって1時間程度かかります。旧集落内を巡るためすこしわかりにくい場所もありますが、よろしければ読者の皆さん、喜友名集落の住民の迷惑にならない範囲で石獅子群を散策するのはいかがでしょうか。いい運動になりますよ。(終わり)
【おまけ】一年ぶりに三角食堂にもよってみました。