本日(6日)午前3時現在、台風10号は「大型」で「非常に強い」勢力で奄美大島の南南東を北上し、中心気圧は920ヘクトパスカルで、きょうが発達のピークとの報道がありました。
台風10号 きょう発達のピーク 最大級の警戒を 離れた所でも影響が
天気図をチェックすると、沖縄本島の直撃は免れそうですが、それにしても920ヘクトパスカルはすごいの一言です。思い出すのが平成15(2003)年の台風14号で、たしか暴風雨によって宮古空港の管制塔が壊れて使用不能になったんですよね。沖縄県民は “台風慣れ” している部分がありますが、やはり用心するに越したことはありません。ブログ主もきょう一日はおとなしく “やーぐまい” してすごす予定です。
ところで台風といえば思い出すのが、昭和52年8月23日に沖縄本島を襲った中型の弱い台風7号(985ヘクトパスカル)で、直撃は免れましたが、各地で大きな被害を出しました。実はこの台風に乗じて旭琉会の行動隊が上原組のアジトを襲撃、翌日の新聞を派手に賑わす事件が発生しています。記事全文を紹介しますので是非ご参照ください。
旭琉会、嵐に乗じ短銃乱射
上原組を急襲 / 4人組、車を放置逃走 / 2発は関係ない民家に
〔8月〕23日夜、那覇市首里桃原の上原組アジトで発砲事件が発生、実弾18発が撃ち込まれた。ケガ人はなかったが、実弾は民間の資材置き場に命中しており、付近住民を震えあがらせた。犯人は4人組の男で、乗用車を放置したまま首里博物館方面へ逃走した。那覇署が現場検証したところ、アジト裏庭からコルト45口径短銃1丁がみつかった。この発砲事件で、付近の住宅は固く戸を閉ざし、ひっそりとしていたが、たまりかねたある家族は、寝間着姿のまま知人宅へ避難した。
那覇署の調べによると、犯人らは同日午後7時20分ごろ、
民家のヘイ伝いに上原組アジトの裏庭に侵入。
アルミサッシの窓ごしに18発の実弾を乱射した。犯人らはその後、表通りに止めてあった車で逃げようとしたが、警戒中の警察官に発見されたため、車を放置して逃走した。アジトには上原秀吉ら5人の組員がいたが、隣室でテレビを見ていたため、ケガはなかった。弾は裏窓から表のガラス戸を貫通、うち2発はアジトを貫通して向かい側の上原組とは関係のない民間の資材置き場に当っていた。
同時刻ごろ、アジト周辺では6人の機動隊員がパトロールしていたが、犯人らはそのスキをついて忍び込んだ。犯人のうち1人は弾を撃ちつくし、庭に短銃を投げ捨てて逃げ出した。犯人らを目撃した機動隊員は、短銃を抜いて200㍍はど追跡したが、犯人は桃原農園横の通りで姿を消した。起動隊員の話によると、犯人の1人は短銃を手にしていたことから、犯行に使われた短銃は2丁以上と見られている。なお現場に残された車は、エンジンがかけっ放しになっていた。
引用元:昭和52(1977)年8月24日付琉球新報9面
いくら中型で弱い勢力とはいえ、台風時に “カチコミ” をかけるあたり上原組がいかに旭琉会の憎しみを買っていたかが分かります。その理由については後日言及することにして、気の毒なのは沖縄県警で、マスコミおよび首里地区の自治会から「たるんでいる」「しっかりしろ」と苦言を呈されます。台風当日にも6人の機動隊員を配備していたにも関わらず世論の非難を浴びるのはさすがに言い過ぎではと思いますが、それだけ県民が暴力団抗争にウンザリしていた証なのかもしれません。
参考までに記事も貼り付けします。記事に掲載されている写真は、大島幸雄著『沖縄ヤクザ戦争(1978)』にも引用されていました。(おわり)