今回はアメリカ世時代の先輩たちのハイレベルなやらかしを紹介します。昭和40(1965)年4月19日に “凶器を追放しよう” とのスローガンで “刃物を持たない運動” が全琉一斉で始まった記事を見つけました。
同記事は同月16日に起った勝連村南風原、松島料亭街で起った殺人事件の記事をチェックした際に偶然見つけましたが、まず刃物を持たない運動自体がじわじわきます。松島料亭街の事件は後日紹介するとして、先ずは “刃物を持たない運動” の記事を紹介しまず。読者の皆さん是非ご参照ください。
刃物を持ち歩くな!
昨夜取り締まり / 那覇署 /不良行為で7人補導
“凶器を追放しよう” と19日から全琉いっせいに “刃物を持たない運動” が始まった。那覇署では午後10時から刑事を動員、外勤員とともに、首里、小禄の住宅街、市内の盛り場など全域にわたって警ら、犯罪を誘発する刃物の取り締まりを行なった。この日は夜の町をうろつく少年たち約80人を不審尋問、7人を不良行為で補導した。
警本統計によると昨年の凶器不当所持は全琉で862件、そのうち243件は未成年者が所持していた。刃物別に見ると、包丁、短刀、ナイフ、チェーン、捧類が全体の70%をしめ、これらの凶器を使っての強盗、傷害、脅迫、殺人など凶悪事件をひき起こしていた。
「刃物を持つと人間を刺したくなる」「おどしたくなる」
というケースもあって警察陣はこの危険な刃物の持ち歩きに目を光らせ、取り締まりを強化しており、“刃物を持たない運動” もこれで3回目。各警察署は “ふくろう部隊” を編成して、盛り場や暗がりにたむろするチンピラグループのしめ出しをはかっている。(中略)
引用元:昭和40年4月20日付琉球新報夕刊3面
当時の世相を反映した記事で、現代人からみるとビックリの内容ですが、翌21日の記事もじわじわきますので紹介します。
11台の車がパレード
刃物を持たない運動 / 市民に呼びかけ
“刃物を持たない運動” は19日全琉一斉にスタートしたが、那覇署と同管内主催者側では、2日目の20日午後3時から白バイを先頭に11台の車を市内にくり出してパレード、道行く人に「刃物を持たない運動に協力しましょう」と呼びかけた。これは、さる12日からはじまった「第3回青少年健全育成月間運動」の一環として行われたもの。
刃物を持った青少年による粗暴事件は年々増加する傾向にあり “刃物を持たない運動” を推進することによって青少年の犯罪を防止しようという目的。パレードは、白バイを先頭に広報車、
“かわいいわが子の刃物に注意”
などの標語のはいった横断幕をかけた車両、刃物として取り締まりの対象になる刀剣類やナイフなど展示した車両など11台が参加した。
パレードのコースは、那覇署前ー上泉ー那覇高前ー与儀ー宮里ー松川ー山川ー儀保ー松川ー安里ー松尾ータイムスー西武門ー明治橋ー小禄ー名嘉地ー根差部ー真玉橋ー那覇署前
引用元:昭和40年4月21日付琉球新報7面
なんか標語がいろいろおかしいんですが……と突っ込みを入れるだけで終ればよかったのですが、さすが我が沖縄の先輩たちのレベルの高さは一味違います。同月25日に糸満町(当時)で起った事件全文を紹介しますので気合を入れてご参照ください。
そっぽ向かれた “刃物を持たない運動“
また包丁で殺人 / けんかふっかけ返り討ち / 糸満町
【糸満】25日未明糸満町で、ケンカをふっかけた男が逆に包丁で刺し殺されるという事件があった。“刃物を持たない運動” 中の包丁殺人事件だった。
同日午前1時ごろ、糸満町真栄里37、農業T里さん(29)は、知り合いの結婚式から酔って帰る途中、同区内の俗称アガリ川(共同井戸)近くで酒を飲んでいた同真栄里、港湾労務A(18)ら4~5人のグループと行きあい、AとAの兄(29)2人とケンカし、Aに刃渡り約20㌢の包丁で腹と胸を刺された。T里さんはすぐ町内の大城病院に運ばれ、手術を受けたが、動静脈が切断されており、出血多量で同日午前5時38分死んだ。
糸満署では事件発生と同時に刑事を非常招集して午前2時ごろ自宅に戻っていたAを殺人未遂で逮捕したが、被害者が死んだのですぐ殺人罪に切りかえ、取り調べている。
調べによると、Aらは友人4~5人と共同井戸で酒を飲んでいたが、そこへT里さんが酔ってきて「ケンカしよう」とふっかけ、そのエリ首をつかんだ。Aの兄が仲へはいったが、T里さんは、Aの兄をも投げ飛ばし、Aを押し倒して足でふみつけるなどの乱暴をした。
Aはこれに憤慨して、自宅の炊事場から柄のとれた包丁を持ち出してきて「お前を殺してやる」と、T里さんの腹、胸を突き刺したもの。刺したあとも包丁をふりまわし、石などに当って包丁は先がひんまがった。
被害者は糸満署管内で傷害の前科があった。
死体は那覇署に移され解剖されたが、刺し口は腸から肺に達し、動静脈も切れていた
引用元:昭和40年4月26日付琉球新報7面
この記事を見つけたときに、ブログ主は
日刊紙で理想的な3段オチが拝めるとは……
とアメリカ世時代のすごさに絶句した次第であります。(終り)