今回は “沖縄の共産党員” というちょっと固い話題を提供します。
その前に(議論の補助として)マルクシズムの革命理論について大雑把に説明します。マルクス経済学は社会は原始共産制から始まって資本主義を経て、最終的に共産主義に到達するという段階説が有名ですが、この論理は “予定調和説(必ずそうなる)” で構成されています。つまり “革命は必然” という論理が導きだされる仕組みになっています。
そこで興味深いのは、予定調和説によってマルキストたちの行動様式が2パターンに分かれてしまったことです。具体的には必ずそうなるのだから “果報は寝て待て” の諺のごとくじっと待っていればいいのではと考えるタイプと、革命は必然だから積極的に行動しようではないかと考えるタイプで、その結果後者のグループが組織を結成します。これが “共産党” です。
政党が結成されると、これまた必然的に教義や運用ルールが制定されます。そして共産党は “来るべき革命に備えて党員を育成し、社会に共産主義を広めるために活動する” いわゆる “前衛党” としての性格を帯びるようになります。
ここまでが(マルクシズムが内包する予定調和説から)共産党が誕生した経緯ですが、ここでまたまた興味深いことに予定調和説によって共産党員の性格が二分されます。具体的には、革命は必然だから党中央の指示にしたがって行動すればよいとだけ考える党員が大量に発生したのです。
そうなると党中央は細かな活動方針を党員に指示せざるを得なくなります。その結果、共産党は否応なく著しい上位下達(トップダウン型)の組織に再編成されます。別にレーニンやスターリンが極度の権力志向とかではなく、マルクシズムが抱える論理が結果として一党独裁体制を誕生させたのです。
ここまでの説明で、共産党がトップダウン型の組織になってしまった理由は理解できたかと思われますが、ここで沖縄の共産党について考えてみます。実はいまもむかしも沖縄は “因果律” の社会であり、歴史的に見ても予定調和説は極めてなじみの薄い考え方です。そして予定調和の〔理解〕を欠いた状態で、共産党の組織運営が導入されたのがアメリカ世時代の人民党であり、日本共産党沖縄県委員会なのです。その結果、沖縄の共産党員は前衛党員という性格を帯びることなく、
単に党中央の指示だからとの理由で活動する “ロボット党員” になり下がります。
これが沖縄の共産党の致命的な欠点です。
以前、当ブログにおいて “要請とスーグリー” との題字で記事を配信しました。スーグリーについて再度説明すると、
そのほかにスーグリーという言葉がある。スーは総、グリーは御辞儀・・・。初期の県会議員選挙のさいに、村々の有志が村民をムラヤー(村事務所)に集めて候補者の相談をした。「誰々を推そう」と有志が切り出すと、ツルの一声で村民いっせいにスーグリーだ。ボスを中心に盲従する態度...一般の無自覚、知識ていどを示したのがスーグリーである。(中略)
引用:高嶺朝光著『新聞五十年』140~141㌻より
とあり、尚家がりうきうの地を支配していた時代からの民衆の伝統的な行動様式です。そして令和の今日でも沖縄の共産党員たちがマルクスの経済段階発展説と異なり、琉球王国時代の伝統を忠実に再現していることに気が付いて、目からうろこが落ちたブログ主であります。(終わり)