本日(12月24日)はご存じのとおりクリスマス・イブですが、当運営ブログでは数年前から “風俗関連” の記事をアップしています。ただし、今年はちょっと趣向を変えて、「公式のやらかし」のテーマで記事を作成しました。
実はこのネタを思いついたのは、今年8月に中央パークアベニューを散策した際に見つけた1枚の写真がキッカケです。そしてクリスマス前には複数の史料を仕入れることができましたが、今回は厳選した3つのネタを紹介します。ブログ主から読者へのささやかなクリスマスプレゼントを是非お愉しみください。
中央パークアベニュー
今年開催された「FIBAバスケット・ワールドカップ2023」に絡んで、中央パークアベニューではかつてのセンター通り時代を含む複数の写真を展示しています。公式サイト「沖縄市中央パークアベニュー|通りの魅力は70年の歴史!」でも写真閲覧は可能ですが、現地でみた1枚の写真に衝撃を受けたブログ主は周辺も含めて撮影せざるを得ない状況になりました。それはこの場所(写真右側の柱)に貼り付けられていたものです。
・お分かりいただけたでしょうか。
・拡大してみよう…
・ちなみに建物は現存しており、外装を塗り替え&看板を撤去しているあたり、おそらく現在は住居として利用しているかと思われます。
・後日、沖縄県立図書館を訪れたブログ主は、昭和時代のゼンリン地図で同場所をチェックしましたが、どうやら2~3階がホテルとして利用され、平成初期あたりまで存続していたことが分かりました。なお、この写真は公式サイトには掲載されていません。
沖縄大百科事典
昭和58年(1983)に沖縄タイムス社によって刊行された「沖縄大百科事典」は当ブログを運営するにあたり欠かすことのできない極めて貴重な史料です。つい最近、沖縄タイムスの記者と思わしき人物が、この事典を利用することなくSNS上で “お気持ち表明” して思わず失笑したこともありましたが、とある記事を作成中、事典の一記述に目を奪われたブログ主は、さっそく全文を書き写し&画面キャプチャーを保存しました。
説明不要の内容ですが、壷川ではかつて何が行なわれていたか気になるところではあります。
沖縄大百科事典 ㊦ ナ~ン 543㌻
漫湖 まんこ もと那覇港湾の一部。漫湖について『那覇築港誌』(1916)は〈南北明治橋より東南に、那覇公園を持って名高き奥武山を囲繞し、深く真玉橋まで湾入せる湖形の部分〉と定義している。漫湖の初見は1663年(尚質16)の張学礼の『使琉球記』である。その前(尚豊王代)は大湖としかいっていないから、漫湖と呼ぶようになったのは尚豊~尚質王のころと思われる。現在は漫湖の那覇市に属する部分はほとんど埋め立てられ、豊見城村側も干潟となり、地図のうえから漫湖は抹消された。もとの漫湖の一部で真玉橋から明治橋に達する一条の水路は国場川の下流になっている。
名高い漁法の〈壷川ホーホー〉
も昔の夢となった。〈嘉手納宗徳〉
DAZN
令和05年(2023)5月9日のプロ野球(DeNA×巨人)の際、DAZNがSNS上で岡本和真選手の本塁打動画を配信しました。
だがしかし、DAZN公式今世紀最大級(と断言しても構わないレベル)のやらかしをついうっかり見つけてしまったブログ主は、速攻で画面キャプチャー&永久保存しました。説明不要、是非ご参照ください。
いかがでしょうか。今後も公式のやらかしには厳しい目を光らせつつ、今回の記事を終えます。