令和04年07月21日付琉球新報13面【全面広告】に、故富永清旭琉會会長の奥様の “お悔やみ広告” が掲載されていました。試しに友人代表をチェックしたところ、永山克博暫定代表をはじめ、故富永会長とゆかりの深い人物が上位に名を連ねています。
今回は、平成23年(2011)11月27日の旭琉會親子縁組盃之儀式の動画から、令和4年までの組織の変遷についてブログ主なりに推測します。
まずは参考資料として、富永夫人のお悔やみ広告をアップします。
そして、今回は4つのデータから参考までに図を作成しました。ちなみに4つのデータとは
・平成23年(2011)11月27日旭琉會親子縁組盃之儀式(You Tube)
・令和元年07月15日のお悔やみ広告(富永清会長)
・令和04年02月の組織内序列(原本は非公開)
・令和04年07月21日お悔やみ広告。
となります。少しわかりにくい図になってしまいましたが、読者のみなさん、是非ご参照ください。
これらの図を作成して、気が付いた点をまとめてみると、
1.現在の旭琉會は、おそらく永山暫定代表をトップに、糸数理事長、知念本部長、狩俣幹事長が実質的に組織を運営し、それを先輩格である與那、又吉の両代表補佐がサポートしていると思われますが、注目すべきは富永会長時代の “親子関係” ではなく、”先輩と後輩の関係” で組織が動いている点です。意外にも旭琉會が親子関係を基礎に組織を運営したのは、平成の分裂時代からですが、つまり現在の旭琉會は、昭和45年の結成当時の状態に戻ってしまったのです。
もちろん現在の旭琉會は、沖縄連合旭琉会や二代目旭琉会の時代とちがって、組織運営のノウハウが確立していますが、 “親子関係” を欠いた状態で組織が動いている現状はやはり違和感を覚えざるを得ません。それはつまり、現時点において、永山克博暫定代表は “本命ではない” ことを意味しているのです。
2.令和04年の組織内序列から、上里忠盛さん(上里一家総長)が消えてます。上里さんは説明不要かと思われますが、富永会長とずっと行動を共にしてきた “盟友” です。富永会長と共に、新城喜史(沖縄連合旭琉会理事長)のボディーガードを務めていたのはよく知られていますが、つまり50年近くの付き合いのある人物が富永夫人のお悔やみ広告に名を連ねていません。
参考までに、令和04年11月24日付琉球新報DIGITALの記事のよると、
県警組織犯罪対策課によると、県内には指定暴力団旭琉会(永山克博代表)の下、2次団体の20一家を有し、構成員は2022年10月末現在で約230人に上る。最大で構成員約1300人がいた91年に比べ大幅に体制は縮小し今年、2次団体の2つの一家が解散した。
とあり、もしかして、上里さんは引退し、一家は解散したのかもしれません。
3.実働している一家はおそらく10前後でしょう。一家総長制を採用した二代目旭琉会の時代から、2次団体は大雑把にみて15ありますが、琉球新報の記事によると、現在の構成員は230名前後とありますので、かつてのように15の一家が実働しているとは考えにくいのです。そして現在の主要団体は、三代目富永一家(糸数真)、二代目沖島一家(知念秀視)、二代目功揚一家(狩俣重三)で間違いありません。
ほか、気になる点として、高江洲良吉(錦一家総長)さんの存在ですが、これはおそらく組織として台湾との繋がりを重視しているからに他なりません。
以上が、ブログ主が調子に乗って推測した “旭琉會の現状” ですが、以前にも指摘したとおり、花城松一名誉顧問の “Xデー” の後に組織として大きな動きがあると考えられます。その後 “親子関係” を軸とした本来の組織の状態に戻せるかが旭琉會存続のカギになると思いつつ、今回の記事を終えます。