昭和の沖縄のぶっそうな常識のひとつに、「タクシーに乗った際には暴力団の話はするな」があります。その理由はお察しかと思われますが、暴力団関係者が経営しているタクシー会社が存在することは沖縄社会における公然の秘密だったからです。
有名なのが昭和37(1967)年に設立された県内最大手のタクシー会社の初代社長が又吉世喜の実弟(又吉世隆)だった件ですが、詳しく調べたらほかにも類似の話は出てくるかもしれません。
ここではこれ以上の言及はやめておいて、今回は昭和48(1973)年8月29日付琉球新報夕刊3面に掲載された特集記事を紹介します。読者のみなさん、昭和の闇に関する記事全文を気合を入れてご参照ください。
タクシー ③ / 伸びる “黒い手”
まず運転手へのいやがらせから
タクシー業界の中にも、じわじわ暴力団の黒い手は伸びてきているという。警察情報によると、とくに最近、その現象がひどく、那覇市内のタクシーのほとんどが、暴力団関係のスジの連中に買い占められているほどだとみる人さえいる。このところ、タクシー運転手がどんどんやめてタクシー会社では運行をとめた車がふえ、全く経営までひびき、困っているといわれるが、運転手の定着率が悪いのも、一つには、“黒い手” がタクシー業界に伸びてきたのが原因しているようだ。
那覇市内に住むMさん(47)は長年、タクシーの運転手をして生計を立てていた。だが10カ年、勤めていた会社を最近やめたという。彼らが会社を買い占めたあと、こわくておれず、ついやめてしまった。Mさんは暴力団のタクシー乗っ取りについて「私がいま知っているだけでも那覇市内だけで20台くらい彼らの手に渡っているんですよ」と話した。
買い占めの方法はまず運転手のおどしから始まるという。買い占めをやろうとする会社のタクシーにねらいをつけ、そのタクシーに乗る。車内で最初、いやがらせがなされる。人通りの少ない道に入れさせて、急停車を命ずる。どうこうせよとはいわず、ただ黙って運転手ににらみをきかせ威圧する。降りる様子もない。不審に思って「どうしたんですか」と聞くものなら、「たっくるさりーんどう(殺されたいか)」と方言でおどし文句がはね返ってきたという。
会社を窮地に追い込み商談
それが一度や二度ならまだしも、何回もねらいをつけて、くるのだからたまらず、ついにこの会社にいたたまれず、やめてしまうようだ。運転手をやめさせて、会社を窮地に追い込むのが彼らの大きなねらいとするところ。つぎつぎ運転手がやめていったころを見はからい、会社に姿を現す。「どうかあんたの会社をわれわれに売らないか」と経営者に迫ってくる。運転手にはやめられる。自然とかせぎに走る車が少なくなり、経営は思わしくない。経営者も「エイッ、売っちゃえ」という気持ちになって手放してしまうようだ。Mさんが勤めていたタクシー会社もこの手で暴力団の手にわたり、この会社をとび出したという。
女性を使った悪質な手口も
最も悪質な手口になると、走るタクシーに車をぶつけてくる。それをネタに「車は破損した。どうしてくれる」と会社や自宅まで押しかけ、損害賠償をしろと、迫ってくる。ついに運転手はおそれをなして、会社をやめていく羽目になるようだ。手のこんだ方法では「くの一戦法」というのがあるそうだ。Mさんが知っているタクシーのある若い経営者はこの手にかかり、2年前にタクシー、会社もろとも、暴力団に乗っ取られてしまったという。この若い経営者の場合、ある女性にゾッコンほれ込み関係を持ってしまった。女の裏に暴力団がいて「つつもたせ」であることに気づいた時はあとのまつりで、「おれの女になぜ手を出した」と毎日というほど押しかけられ、「金をよこせ」と最後には苦労して建てたタクシー会社まで手放すことになってしまった。
普通タクシー1台の売買価格が約250万円といわれる。それが暴力団の手にかかると、1台200万円で買い占められているという。Mさんは「このような手段で暴力団が経営する1つの会社だけで、40~50台も買い占めているんですよ。那覇市内のどこの会社もそうだ」と説明したが、ざっと数えただけでも、暴力団に落ちたタクシー会社は10社近くにも上った。
“このままでは安心して乗れない”
最後にMさんは「近い将来、沖縄のタクシーは1台残らず、暴力団関係者が買い占めるという話ですよ。このままの状態ではタクシーはおそろしくて、善良な市民は乗れませんよ。なぜ彼らに経営させ、取り締まりをしないんですかね」と、陸運行政と警察の生ぬるさをきびしく非難した。