前回の記事 “二重思考とりうきう独立芸人” において、ブログ主は小室直樹著『日本の1984年』を参考に、りうきう独立芸人たちの行動様式を考察しました。その際に言及した「二重思考」が、りうきう・沖縄の歴史を分析するツールとして極めて有用なことに気がついたので、今回は沖縄県民(特に高齢者)が一番突っ込まれたくない部分について調子に乗って言及します。
改めて、小室直樹先生の著書で言及されている二重思考について説明すると、「同時に、あい矛盾する二つの信念を心にもち、しかも、その両方とも正しいと思う能力」になります。なお、この能力はりうきう独自のものではなく、ジョージ・オーウェルが生きた20世紀の欧州ではごく当たり前の行動様式だったかと思われます。
もしかして勘のいい読者ならピンときたかもしれませんが、慶長の役(1609)以降のりうきうにおける「日支両属体制」はまさに「二重思考」そのものです。だたし、今回はアメリカ世時代のシージャ(先輩)たちの証言を参考に、二重思考とは何かについて説明します。
その証言とは昭和59年(1984)6月30日から1年以上にかけて連載された「喜屋武幸雄のロックアラカルト沖縄(全57回)」の31話に掲載されていたコザ騒動のエピソードであり、ためしに該当部分を書き写しました。読者のみなさん、まずはご参照ください。
コザ騒動と言えば、この事件を題材にした伊佐千尋氏の「炎上」に出て来る “座間味治“、金武でプレーしていたバンドリーダーとあるのはオレのことである。オレは本名で出しても構わないと取材の人にはいったのだが、仮名にしてくれたのは気をつかってくれたのだろう。
そこに書かれていることの半分はフィクションでありノンフィクションである。
アメリカーのジープにおばあさんがひき殺されたのも事実だし「ヤナアメリカーグヮーヤ」と思いながら寄生虫のようにアメリカーに吸いつきロックを演(や)っていたのも事実であった。
Aサインの一番底辺でアメリカーとつき合って彼らの良い面、悪い面も見ることが出来た。Aサインにうごめく人たちはアメリカーを良い金ヅルだとは思っていても心底彼らと知り合え、友人として同等に付き合えるとはだれも思っていず、むしろ、心の底では「ヤナヒャーシーブサル勝手ーシィクァティ」と腹の中で怒りにコブシを震わせている人の方が多かった。それがコザ騒動の時、Aサインの仲間らが真っ先にアメリカーをブン殴った原因だろう。
そのブン殴った手で、翌日は何事もなかったようにアメリカーの前でプレーしている自分が、なんとも妙で不思議だった。(マリー・ウィズ・メデューサ・マネージャー)
引用:昭和60年(1985)3月2日付沖縄タイムス夕刊2面、「喜屋武幸雄のロックアラカルト 〈31〉コザ騒動」より抜粋
大雑把ではありますが、上記の証言を解説すると、喜屋武さんは「在琉アメリカに対する反発心」と「在琉アメリカ人を相手に商売する」とのあい矛盾する信念を抱える自分に気が付いて戸惑いを覚えています。
※嫌いなら相手にしない、「無視」という言動に行き着かないところに注意。
これが典型的な「二重思考」であり、
沖縄戦以降のアメリカ世時代に「生き抜く」ことを余儀なくされた琉球住民の姿そのものなのです。なので、アメリカ世を生きた高齢者たちに対して、具体例を挙げて「二重思考」の愚を指摘するのは特大級のNGだと断言できます。
なお、現代の沖縄にはりうきう独立芸人に代表されるように、己が二重思考に陥っていることに気がつかず、SNS上で “お気持ち” を表明する痛い県民が散見されます。次回は、その一例について調子にのって言及します(続く)。