今回は読者の便宜を図る上で、『沖繩敎育』(大正13年6月、9月、12月)の3号にわたって掲載された又吉康和著『久高島印象記』のまとめページを作成しました。同年6月8日に実際に久高島を訪れた際の訪問記ですが、当時の島の様子を伺える第一級の史料と言えます。
ちなみにこの印象記を読んだブログ主の感想は、伝統主義(現在の社会的な慣習は “これまで続いてきた” という理由だけで正しいと考える行動様式のこと)の束縛の強さです。そして興味深いのがこの一節で
兎にも角にも此の小さい島に傳說の多いのは不思議な種である。一行中の某氏は津堅島を見た時、「小さな久高島にあれだけの傳說があるから津堅には尙ほ多からう」と訊いて居た。それに對し私は斯う答へた「久高島は白樽の創造生活に出發して居り、他は中城方面の劣敗者が露命を繫ぐ爲めの模倣生活から承け繼いだものであるから兩者の間には雲泥の相違がある」と。
引用:久高島印象記(沖繩敎育大正13年12月号)
これは久高島と本島内のその他離島との違いをズバリ言い当てていて、さすが大正時代の知識人かなと思いました。これまで当ブログにて5回にわたって掲載した『久高島印象記』のリンクを貼り付けておきますので、読者のみなさん是非ご参照ください。
久高島印象記 (1)- 又吉康和:沖繩敎育大正13年6月号雜纂(51~52㌻)
久高島印象記 (2)- 又吉康和:沖繩敎育大正13年6月号雜纂(52~54㌻)
久高島印象記 (3)- 又吉康和:沖繩敎育大正13年9月号(85~86㌻)
久高島印象記 (4)- 又吉康和:沖繩敎育大正13年9月号(86~87㌻)
久高島印象記 (5)- 又吉康和:沖繩敎育大正13年12月号(66~69㌻)