読者のみなさま、あけましておめでとうございます。去年は当ブログをご訪問いただきありがとうございました。そして今年は沖縄ヤクザネタ強化年に位置付けてますので変わらぬご愛顧よろしくお願いします。
ご存じの方もいらっしゃるかと思われますが、ブログ主は三が日の恒例行事として、普天間神宮の参拝と沖縄ヤクザの “聖地” 巡りを行なっています。なお、今年は始めて元日の夜に同地を訪れてみました。読者のみなさん、是非ご参照ください。
・宜野湾市営駐車場から普天間りうぼうを抜けて、三角食堂があった場所に移動します。なお、三角食堂跡は更地になっていました。
・せっかくなので開放地琉映(昭和60年閉館)があった場所まで移動してみました。
・昭和42年(1967)5月14日、タクシー運転手兼普天間派組員だった小禄卓さんがお亡くなりの場所(射殺第一号)の場所を通りすぎます。
・昭和40年(1965)8月28日、泡瀬派の大城善秀(今帰仁ヒデー)の弟、国秀が山原派組員(松茂良弘、島袋清)によって刺殺された現場を通ります。よく考えると、この大事件から今年で60年経過しているんですよね。
・普天間交差点の陸橋から、アメリカ世時代に喜舎場朝信さんが経営していたパチンコ屋跡を撮影しました。この建物も築60年は経過しているのではないでしょうか。
・陸橋から撮影した普天間神宮の様子です。
・ちなみにブログ主は毎度「陸橋から普天間神宮に向って参拝」しています。なぜかこの陸橋に思い入れがあるんですよ(笑)
・参拝とアングラ巡りも終わったので、駐車場に戻りますが、普天間高校の回りがやたらにすっきりしていました。
・なぜか山田真山先生が平和記念象を作成した工房はそのまま残っています。もしかするとこの建物は宜野湾地区で現存する最古のコンクリ建造物かもしれません(宜野湾の誇りである「山谷園」よりも20年前に建てられたのは確実)。
・余談ですが、ブログ主が人生始めて通った歯医者がこの建物の2階にありました。
いかがでしょうか。取り急ぎまとめてみましたが、今年も読者の皆様にとって最高の一年になるよう祈りつつ、今回の記事を終えます。