少し前に当ブログで “りうきうにおける神権政治” についての記事をアップしましたが、今回はそのついでにりうきう社会におけるユタについて言及します。
その前にブログ主なりにユタを定義すると、大雑把には “民間から自然発生した神に操られる者たち” で、この点が重要ですが彼ら(あるいは彼女らは)琉球王国時代の神女組織とは(原則として)独立した存在だったのです。参考までにりうきう社会の神女組織について、伊波普猷著『ユタの歴史的研究』を参考にまとめてみると、
聞得大君(ちふぃじん)>大あむしられ(首里内三殿内の高級神女)>のろくもい(地方豪族から任命された神女)>根人(ねっちゅ)>神人(かみんちゅ)
とあり、少なくとも尚眞王以降はこの序列で組織運営されていたことがわかります。そして同著によると
御承知の通りいずれの宗教にも神秘的の分子は含まれているが、沖縄の民族宗教にもまた神秘的の分子(悪くいえば迷信)が含まれているのであります。いったい小氏の神人かみんちゅより大氏の神人に至るまで、古くは神秘的な力を有もっていて神託を宣伝するものであると信ぜられていたのでありますが、なかにはそういう力を有っていない名義ばかりの神人もいたのでありますから、これらに代って神託を宣伝する連中が民間に出で、そうしてとうとうこれをもって職業とするようになったのであります。これがすなわちトキまたはユタと称するものであります(そして後には神人にしてこれを職業とするものも出るようになりました)(下略)
とあり、つまりユタは神女組織とは別のところから発生したことが分かります。
ただし神女組織の構成員とユタには重大な共通点があります。それは彼ら(あるいは彼女ら)は民間においては神に操られる者(呪術の使い手)と看做されていて、すなわち社会学的には
権威のカテゴリー(領域)に属する存在
なのです。しかも慶長14(1609)年の薩摩入り後の神女組織の権威低下に伴い、相対的に地域社会においてユタの権威はアップすることになったのです。
その結果、ユタの存在は権力側を刺激したのは疑いの余地がなく、傍証としてユタの歴史イコール弾圧の歴史と言っても過言ではないほど権力側から禁止令が出されます。だがしかし、この禁令は全くと言っていいほど効果ありませんでした。その原因はハッキリしており、権威と権力は(社会学的には)カテゴリーが別なので制御なんて本質的に不可能なのです。具体的に説明すると権力はあくまで “図る力” つまり社会の揉め事を調整する機関であり、何が正しいかを判断する能力は持ち合わせていないのです。ユタは前述の通り権威のカテゴリーに属していますので、はっきり言っていかなる政令をもってしても根絶は不可能です。
しかも当時は、ユタの存在を不条理なものと決めつけて一方的に禁令を出すやり方なので、これだとますます上手くいきません。ブログ主が驚いたのは我が沖縄社会でユタの存在は社会学的に取り扱った最初の人物は伊波普猷先生で(大正2年3月11から20日まで琉球新報上で「ユタの歴史的研究」の論文を掲載)、それまで誰もユタの存在を科学的・社会学的に解明しようと試みていなかった点です。
伊波普猷先生のユタに対する取り組みは「ユタの歴史的研究」の最初に記載されている部分を抜粋すると、
私は昨今、本県の社会で問題となっているユタについて御話をしてみたいと思います。「ユタの歴史的研究」! これはすこぶる変な問題でありますが、那覇の大火後、那覇の婦人社会を騒がしたユタという者を歴史的に研究するのもあながち無益なことではなかろうと思います。ユタの事などは馬鹿馬鹿しいと思われる方があるかもしれませぬが、この馬鹿馬鹿しいことが実際沖縄の社会に存在しているから仕方がない。哲学者ヘーゲルが「一切の現実なる者は悉く理に合せり」と申した通り、世の中に存在している事物には存在しているだけの理由があるだろうと思います。(下略)
とあり、実際にユタの歴史的経緯と、伊波先生なりの解決策を明示しています。この点については次に言及します。(つづく)