気が付くと当ブログも今回で 600記事の配信となりました。平成28(2016)年5月19日から開始して2年余り、よくぞここまで続けることができたもんだとちょっと自分を褒めつつ、目標の 1000記事配信まで気合を入れて頑張ろうと決意を新たにした次第であります。
今回は600記事配信企画として、明治時代の鬼女のお話を紹介します。明治31(1898)年8月29日から3回にわたって琉球新報にて連載された『ツミジュリの情夫狂い』と題する物語で、現代の”鬼女速”に掲載されているような内容です。ただし現代ではあまり使われない用語が複数ありましたので、ブログ主でいくつか説明すると、
・ツミジュリ(囲娼):特定の顧客のみを相手にするジュリ(尾類)のこと。
・浮き川竹の流に身を沈めてし女:ここではジュリの身になった女性のこと。
・大福渡名喜:辻町にある貸座敷のこと。昭和9年(1934年)の辻町の地図には「大福楼」と記された場所があるので、実在していた可能性大。
・アンマー:ジュリの抱え親・貸座敷の女将。
・200円余りの身代前借金:当時の小学校教員(訓導)の月給が10円、県庁勤務時代の謝花昇(高等官)の月給が40円ですから、大金であることが分ります。
・相見ては後の恩にくらぶれば、昔は物を思はざりけり:百人一首の中の一句。恋しい人とついに逢瀬を遂げてみた後の恋しい気持ちに比べたら、昔の想いなど無きに等しいものという意味。
・伊勢の海阿漕(あこぎ)ケ浦に曳く網も度からされば顕はれにけり:人知れずおこなう秘密ごとも、たびたび行えば何時はばれてしまうという意味。
・流連(りゅうれん):遊興にふけって家に帰るのを忘れること。
・手にとるな矢張り野に置け紫雲英:れんげ草のような野の花は、やはり野原に咲いているのが似つかわしい。ものには、本来それにふさわしい場所というものがあるという意味。
になりましょうか。原文は後日改めて配信することにして、今回はブログ主にて旧漢字を訂正し句読点などを追加して、可能な限り現代人にも読みやすいように配慮した文章を掲載します。あと原文の印刷つぶれの箇所は無理に当て字することなく●で表記しました。読者のみなさん、明治時代の鬼女物語の傑作を是非ご参照ください。
明治31年8月29日付琉球新報3面
男心と秋の空と人はいへど、なおそれよりも変り易きは女の心ぞかし。殊に一たび浮き川竹の流に身を沈めてし女の心はしもその定まりなきことあたかも走馬灯の如く、昨日の瀬は今日の淵と打ち替りて中々に油断のならぬものとかや。ここに那覇区東渡地(わたんじ)299番地に寄留して焼酎商を営める城間蒲(ぐすくまぬかまー)と云へる平民あり。当年48~49にして50に近き班白の若年寄なれど、中々に壮者も及ばぬ達者なりとの評判ある男なり。家財の有福(裕福)なるまま時々妻子の目を忍びて辻遊郭425番地第1号なる大福〔楼〕渡名喜のカマと云へる愛娼の許へ通ひて命の洗濯所となしけり。
そもそもこのカマと城間蒲とのその間柄は昨日今日の情交にあらず。今を去ること20余年廃藩前のそのむかし、城間蒲が28~29歳の男盛りの春の日に、始めてカマを買ひ馴染みて互いに思ひ思はれて、夜ごとにそのいる仇枕あまたお客のその中にも、取分け心を込めて勤め気離れし真実ぶりに、城間蒲は嬉しさ言はん方なく他のお客の向ふを張りて金銭を惜まず夢中になりて夜毎の如く通ひければ、他の客も中々負けざる意地張りてカマはその中に立ちての掛引きやらアンマーとの都合やらその気苦労一方ならざるのみか、城間蒲においても多額の費用を要するにぞ斯くては互いの為ならずと終に身請けの相談一決し、すなわち200円余の身代前借金を抱え至るに償ひてお客一人の自由の味と相成つたるは今より8年〔前〕、明治22~23年の頃とかや。
さて初会より身請けするに至るまでの10余年の月日は思ふ同志の習ひとて些少の口説より痴話喧嘩や焼餅騒ぎなどの面白おかしき説話多かり。されどこれは是れかかる社会にありがちの話にして珍しき事にもあらねば、その繁〔雑〕を避け読者の粋察(推察)に任せんとて殊更にこれを省きつ(つづく)
明治31年9月1日付琉球新報3面
(つづき)斯くして前借身代金を支払いくれたる後はカマをそのまま大福〔楼〕渡名喜に囲い置き、月々10円づつ手当をなし、かつ抱え子の2,3人も賈ふてやり、アンマーたるの資格を与へるなど何不自由なく心附けをなして手生けの花と眺めつつ、爾来本年まで7~8年の長〔き〕の月日に双方の間に波風なく仲よく過し来たりしが、盈(み)つれば欠くるの習ひかや、先々月初頃那覇久米の人4~5人来て遊興をなしたりけるに、その中に真栄里(めーざとぅ)と云ひて色ナマ白く吹けば飛びそうなる青瓢箪然たる色男にカマは一目見て深くも思を懸け、如何にもして情を通し本望を遂げんものとを浅ましくも謀反の心を定めしものから主ある身のさすがに胸安からず、免(ゆる)してや宜(よろ)しからん角してや悪かるまじと千々に心をくだきて朝夕に密通の手段をのみ考えけるに、実(げ)にや遠くて近きは男女の道、いつしか春信先方に通じて一夜深更(しんこう)一目の関を忍逢ひ、薄暗き座敷の裏に二人差し向ひて一言二言いひかわす間に、3つ4つ5つ明け6つの鐘をや聞かん鶏をや鳴くべきと早や心急かれ情激して双方ソット寄り添ひ七八九十百歲の白髪なるまで変りなせぞ、変わじ、と互いに契る言の葉に千万無量の情を込め、やがて双方抱き合い憎くや燈火も恋の邪魔をとフッと吹き消し、暗闇の誰れ憚らぬ転び寝に怪しさ夢を結びしは浅ましかりし事どもなり。
斯くて双方密通の後はカマが心は全く豹変し、全心を挙げて情夫に打込み、時機を伺ひ密会するとこの上なき娯〔楽〕としたり。されば以前は2~3日も顔を見ざれば怨みもし嘆きもして待ち詫びたりし城間蒲が来るのが今は却って邪魔となり、成るべく足遠くなれかしと心に願ひ偶(たま)に来る夜に添臥の床は針の山、命の縮まる思ひなれど苟且(かりそめ)にも多年大恩受けたる人の事と云ひ、且つは創(きず)もつ足の秘密を悟られじと心に泣き強いて笑顔をつくる悲しさよ。それも誰ゆえ情夫の為め末長くこのまま密情を運ばんに如何なる苦労も厭はせじ、「相見て後の恩にくれぶれば、昔は物を思はざりけり」と始めて悟りし恋の極粋、苦しき中にも言ふに言はれぬ楽しみ多かり。益々情熱を高むれば、思ひは同じ情夫真栄里もいとど其の心底に威し足繁く通ひければ、苦しき事もあり楽しき事もありて興味いよいよ深く、「尾類(じゅり)呼ばが哀れ呼はんすが知ゆみ楽しみやいち●た苦しびけい」と云ふ心意気になりて、夏の夜の短き逢ふ瀬を●こちては、「たまさかに逢ふ夜の空に心して暫しな明けぞ鳥は鳴くとも」と故人の名句を口吟(くちずさ)む間に、早や明けそむる雞(にわとり)の声鐘の音を聞きては情激し、「打殺せ、鐘もたたき破れ、雞も」と転倒絶叫せんす勢にて後、朝の別を惜む事も幾度なりけん。世間憚る二人の密房に枕より外に知る者とていなかりけり(未完)。
明治31年9月3日付琉球新報3面
(つづき)伊勢の海阿漕(あこぎ)ケ浦に曳く網も度かさなれば顕はれにけり。況や人足繁き遊郭の中において如何に秘すればとて隠せばとて悪事忽(ち)千里を馳せ何時から浮名の世間に漏れさる事あるべきかは。さればカマ真栄里両人の密会は初の程は家内の人にのみ秘密として知られ両人においてもまた用心に用心を加へ余所に漏さじとのみ勤めたれど、熟度の高まるに従てはその心も次第に薄らぎ、初は夜遅く来て朝早く帰りし者が漸次に朝遅くなり昼までの流連(りゅうれん)となり、又は二三日も泊ることもありてこの勢では終に或は人を憚らざる様になりもやせんかと気遣かはるる程になりたるにころ、去らぬだに遊里に成育せし人の口さがなさは他人の秘密としりつつウカと口走るが常なるに、今この状態を見るに附け日頃二人の娯れしそうなる密会を目にも見心にも推して想ひやり、羨ましさ妬ましさの情けが堪へがたくなりて終に無念晴らしに誰とはなしに口より口に漏れ家より家に伝へ段々広がりて、今ではこの事辻遊郭中に公然の秘密となりて大福渡名喜のカマン●事件と云へば誰知らぬ者なき程の有様となれり。
斯かれば夜毎に通い廓(くるわ)の遊客にも何時しか耳に入り、甲伝え乙聞きて遊蕩社会の談抦となり憂たてやこの事終に本主城間蒲の耳に入りたるぞ是非なき次第となる。余りの事に城間蒲は真事(まこと)とは得思はず、カマに限りてさる不埒の振舞あるべからず、この事夢にやあらん現(うつつ)では豈夫(それ)あらじ夢なら早く覚めよかし現ならば如何にせんと半信半疑の心を生じても尚ほこの事は虚説なるべしと知らぬが仏の未練心が勝を制し兎角信ぜざりしも、風聞段々高くなり密夫の性名さては何日何時に密会したりなどの事までも知れ渡りては流石の城間蒲も終にこれを信ずる様になり、同時に無念、憤怒、嫉妬の三情一時に具発して身体を激動したれば、城間蒲は直に家を駈け出て獅子奮迅の勢にて大福渡名喜に至りカマに逢い詰問の口をば開きたり。
この時丁度朝8時比(ごろ)にてカマは今しも情夫を送り帰して寝乱れ姿のままナカメーに立て、何か物思はしげに頬の辺りへ垂れかかれる髪の毛を掻きあげつして悄然として居りたりける所に、城間蒲が尋常ならぬ凄まじき勢にて突然進撃し来りたるにぞ不意の事に大に肝をつぶし、さては忍び事の顕はれけるよと推察したれど末終(つひ)にかくなるべしとは兼てより覚悟の上なれば今更となりては却て心強くもなり思案忽ち一決し、驚ろく胸を押鎮め左あらぬ体に顔おちつけ城間蒲が猛けり狂ひ罵り騒ぎて突き込む鋭き言の鋒(ほこさき)を柳に風と受け流し、手練手管のある限り客をだませし覚への雄弁長舌を振ひて鷲を鳥と言ひくろめ、相手が少し辟易する機を篤と見すまし時分は好しと例の慣用手段を持ち出し、「余所に増し花の出来て霜枯れ近きこの身に早や秋風の吹き初めて特更(ことさら)に無実の濕れ衣(=濡れ衣)をこの身に着せつれなくも見捨て玉はん巧にこそあんなれ、廿年来水も漏さぬこの身の心尽しを少しも酌み計らず只今の挙動は鬼か蛇か情なき御振舞や」と声も惜まず空涙を流して泣き叫べば大抵の男ならばこの手を喰ひ心忽ち解けてトゴロテンの如くになるべけれど、今となりては城間蒲はその手段に乗らず心憎き奸女の巧言やと心に憤れども、先程までの激論に気も稍ゝ疲れ心も静まりて分別の定まり考ふればこの事真ならざるにあらねど証拠もなきに事荒だてては却て身の耻辱今日はこのまま帰て後日分別を回らすに如かずと思案半ばに、家内の人々も更る〱に出でて押しなだめたるを機会に立ちあがり無念を怺らへて我家さして帰りたる心の中ぞ哀れなる。
さればカマは今まで如何なる乱暴に逢ふ事かと心中憂ひたりしに案外穏かに帰りしこの有様に漸く胸を撫でおろし早速情夫を呼び寄せ今の始末を告げ斯くなる上は破縁は目に見えたる事なれば今後は如何にすべきと相談を持ちかくれば、情夫も若しさる事もあらんには結局二人の幸なれば今後は我が別荘に密会して好時機を待つこと宜しかるべしと熟談一決して袂を分かちたり。さる程に城間蒲は一旦家に帰りしも胸中の無念遣る方なけれども、別に証拠を見出す智慧も分別も出でねば、詮方なく幾日も流連して密会を妨害するに如かじと思案を定め、翌日から大福渡名喜に行き朝より晩まで酒を飲みカマを前に置いて側を離さず斯くて幾日も続きぬれば、カマは情夫と密会の機を得ず心中大いに憂ひ苦しめども致方なく時々憂噴の余り人の恋事を邪魔する奴は馬に蹴られて死ねばよいなど途方もなき事を心中に浮べるも恋々生ずる痴情のわざなるべし。
かくて日をふるままに城間蒲は神疲れ気屈して酔倒れ前後不覚に寝入ること度々なりければ、この機を幸ひカマは真栄里の別荘に行きて不義の娯楽を貪りつつありしが、この事も終には露顕してければ城間蒲は激怒乱酔して兼て己が調ひくれて座敷に飾りつけたる戸棚箪笥諸道具を破壊し乱暴狼籍をなして纔(わずか)に鬱憤を晴しぬ。然るにカマは自分等の耻辱を世間に発表するとも知らず、非を城間蒲のみ塗り附けてこれを警察へ訴へけるに警官如何でか斯かる奸策に欺かるべき、忽ち上記の事実即ちカマが情夫のために多年大恩受けたる御客を無情に取り扱ひたる事を看破られ却て厳しく説諭に逢ひたるは因果応報少しも違はず心地よくこそ見えたりけれと側なる城間蒲は思ひしなるべし。また城間蒲に対しては縦令(たと)ひ己れの持切りの娼妓にもせよかかる乱暴を動くは法律規則の許さざれば屹と注意すべしと後来を戒められて共に放免せられたり。然るにそののちカマ真栄里両人の情交は益々厚く、また城間蒲も未練の心尚ほ止まず腐れたる覆水を再び盆に盛り復すの策を講じつつありとの事なれば、何れも近日の内に一悶着を起すべしと探訪子は語りぬ。
案ずるに大福渡名喜のカマが多年大恩受けたる城間蒲を見捨てて真栄里に乗替へたるその薄情憎むべしといえども、一旦泥水に汚れたる身にしあればこれに対して強て清潔なる貞操を望むは恰も黒色に染まりたる紙を元の純白にせんとするに類して野暮の頂上不粋の至極なり。されば妓流に関係せんと欲せば予めその浮気と不貞を承知すべく、もしこれが否ならば初よりこれに関係せざるに如かず。個人警句あり、この間の消息を喝破し去れり。即ち左の如し、
手にとるな矢張り野に置け紫雲英
寒むからぬほどに見て置け峯の雪
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