コザ暴動の教訓 – 建前と本音の乖離

“「建前」は必要なものだ。誰の中にも潜む差別、怒り、ねたみを「本音だから」とそのままぶちまければ、やがて暴力が社会を破壊する。トランプ氏の「本音トーク」4年間の帰結を見れば、はっきりしている。”

1月11日の阿部岳氏(沖縄タイムス記者)のツイッター投稿を書き写しましたが、たしかにその通りで、本音だからとそのままぶちまけて暴力が社会を破壊しかけた典型例が昭和45年12月10日の コザ暴動 です。前月にタイムス紙でコザ暴動の特集記事を掲載した後にこのようなツイートを発信するKYぶりに突っ込みたいのはやまやまですが、今回はまじめにコザ暴動時における建前と本音について言及します。

ためしに、当時のコザ市民の建前と本音について言及すると、

・建前は “琉米親善”

・本音は “好きで米軍に依存しているわけではない”

になりましょうか。建前に関しては昭和49(1974)年2月発行の『コザ市史』を一読すると理解できます。コザ市は自他共に認める米軍依存度の極めて高い地域であり、沖縄戦後に “アメリカ様々” で町が発展したことは紛れもない事実ですが、ただし治安の悪化などの弊害も無視できないものがありました。

治安の悪化だけならまだ何とかなったかもしれませんが、当時はアメリカ憎しの空気が社会に充満していた時期で、いつどこで暴動が発生してもおかしくない状況でした。とくに “毒ガス貯蔵案件” と本土復帰に向けて米軍が軍雇用員の大量解雇を発表したことが決定打となって米軍ヘイトは頂点を極めた感があったのです。

しかも軍雇用員たちで構成された全軍労(全沖縄軍労働組合)が待遇改善のデモを行うと、コザの業者たちの経営に悪影響が及ぶことになり、結果として琉球住民同士で対立することになります。だから当時のコザ市民のやり場のない怒り、すなわち

好む好まざるに関わらずアメリカ軍に依存して生計を立てて来たのに、なんでこんな目に合うのか

という不平不満の爆発が結果的に前代未聞の騒動に繋がったのです。

どんな社会にも建前と本音の乖離は存在します。そしてその幅が激しいと社会的な不安が生じるため、時の政治権力が何らかの対策を講じる必要があります。本音が爆発しないような政策の実施が不可欠ですが、残念ながら当時の琉球政府では手に負えないほど社会に建前と本音の乖離が存在していました。

なぜ琉球政府では対応できなかったかというと、最大の理由は米国民政府と琉球政府の2つの政府が存在していたからです。しかも力関係がハッキリしていて琉球政府はあくまでも米民政府に “お伺い” する立場だったので、社会に充満していた米軍ヘイトを緩和するための積極的な政策を実施できなかったのです。

だからコザ暴動は米軍に対する反発だけでなく、建前と本音の落差に対応できない琉球政府に対する不満が爆発した側面もあるのです。それゆえにブログ主はコザ暴動を典型的な “指桑罵槐” 案件だと考えているのです。

コザ暴動の教訓のひとつは、

建前と本音の乖離は速やかに解消しないといけない。あるいは解消できないならば積極的に緩和策を講じる必要がある

ことです。そしてこの教訓は国家や地域社会だけでなく、組織や団体にも適用できるきわめて有用な教訓です。

とくに “権力の監視(建前)” と “営利(本音)” の落差に苦しんでいる既存マスコミにとっては耳の痛い話だ

とブログ主は確信していますが気のせいでしょうか。(続く)

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