先月28日、当ブログにて”オール沖縄が見捨てられる日 – その1”と題した記事を配信したところ、予想以上の反響がありました。今回はその続編ですが、その前にブログ主がみたオール沖縄の現状について言及します。
オール沖縄とは故翁長雄志氏が中心となって結成した機能集団で、その設立目的は”普天間基地の辺野古移設への反対”を実現することです。翁長氏の秀逸なところは、行動目的を辺野古移設反対一点にしぼったところですが、逆に言うとそれがオール沖縄の弱点にもなります。
翁長氏がいないと組織が円滑に機能しない
読者もご存知の通り、オール沖縄は旧革新勢力に保守系の一部が合流して結成された政治集団です。所属団体には当然ながら主義・主張の相違や歴史的確執などもありますが、それらをすべて棚に上げて”辺野古新基地建設反対”で大同団結します。
象徴的なのが選挙における協力体制で、国政選挙を例にあげると沖縄一区において資本家であるかねひでグループが共産党の候補を応援して2期連続で当選させます。目的を達成するために足元の組織を固めた翁長氏の手腕は実にたいしたもので、実際に過去2回の衆議院選挙および沖縄県知事選挙ではオール沖縄は勝利してます。
だがしかし、平成30(2018)年にオール沖縄の中心人物であった翁長氏が亡くなったことで、組織に亀裂が生じます。はっきり言うとオール沖縄の組織は翁長氏の手腕がないと円滑に機能しないのです。組織の枠組みは作成済みなので、社会が平穏のときは問題なく機能すると思われますが、翁長氏死去以上の事態が発生した場合、組織が瓦解してしまう可能性が否定できないのです。
翁長氏が指名(と喧伝された)玉城デニー知事にどの程度の手腕があるか不明ですが、現実には翁長氏に匹敵する手腕を望むのは酷かもしれません。
目的と手段が入れ替わった
オール沖縄が結成して最初の大仕事は平成26(2014)年11月の沖縄県知事選挙で、めでたく翁長氏が勝利します。国政選挙でも大勝し、この時をもって辺野古新基地反対運動は軌道に乗ったと言えるかもしれません。
だがしかし、それから5年以上経過しましたが未だ大きな成果はあがってません。辺野古では工事が黙々と進行し、普天間基地も居座ったままです。目的達成道半ばどころか、先行き不透明の状態に陥っているのが現状です。
そうなると目的と手段が入れ替わります。つまり辺野古新基地建設反対を実現するために組織を運営しているはずが、組織を維持するために”普天間基地の辺野古移設反対”を喧伝するようになります。理由は簡単でそうしないと組織が瓦解してしまうからです。しかも創立メンバーの翁長氏がいませんからなおさら目的の手段化が進行します。
あとはお約束の流れで組織が”共同体化”します。本来は単なる機能集団が共同体化してしまうため”ウチとソトの論理”で組織が動いてしまうのです。いわば新たなムラ社会の誕生ですが、共同体はウチの論理最優先で組織が動きますから、必然的に沖縄社会に”敵”を作ってしまいます。「沖縄を分断するもの」に対して大同団結したはずの組織が結果的に新たな分断を作ってしまう不条理に対してもはやなす術がないのがオール沖縄の現状なのです。
ちなみにこの手のムラ社会の構成員に対して、沖縄県民は”敬して遠ざける”の態度で接します。徐々に身の回りから遠ざけていくのです。
新型コロナウィルスの影響
前に「翁長氏死去以上の事態が発生した場合」と述べましたが、現実には2つもその事態が起こってます。ひとつは前の記事で言及したとおり首里城正殿焼失により結果として本物のオール沖縄が誕生してしまったことと、もうひとつは新型コロナウィルスによる経済への悪影響です。
今年1月に中国大陸の武漢を基点に世界に拡散された新型コロナウィルスは、3月現在でパンデミックの様相を呈し、なによりも世界経済に致命的なダメージを与える可能性が高くなりました。我が沖縄でもその影響は大きく、すでに観光産業が大ダメージを受けてます。実際に国際通りを歩くと外国人観光客を見ることができません。彼らを当てにした商売(ドラッグストアなど)が壊滅的な被害を受けてますが、問題はコロナ騒動が終わったあともこれまで通り外国人観光客が戻ってくる見通しが立たないことです。
オール沖縄がなぜいままで大きな顔をしていたのか?その理由のひとつが県内経済の好況でそのけん引役が観光産業なのです。つまり今回の新型コロナウィルスの騒動はオール沖縄陣営にとっては”未知の領域”で、翁長氏亡き後にこれ程の想定外案件に適切に対処できるのか、ブログ主は極めて疑問に思わざるを得ません。
なにより辺野古基金に寄付が集まらなくなるのです。これが一番痛い。
はっきり言うとこの時をおいてオール沖縄を見捨てるタイミングはないのです。あとはどのように見捨てるかですが、この点は次回言及することにして今回はいったん終了します。