先日よりツイッターで話題になっている不良マンガ「東京から沖縄に転校してきた不良の四コマ」でいわゆるウチナータイムに言及している箇所がありました。ウチナータイムはウィキペディアにも登場する程のウチナーパワーワードですが、ウィキの説明はちょっと凝りすぎるところがありますので、わかりやすい例として斎湖 伴仗さんのツイッターを引用します。読者の皆さん是非ご参照ください。
・第一交通産業が沖縄のバス会社を買収した後は時間厳守するようになりましたが、昭和の時代はまさにこの通りでした。
東京から沖縄に転校してきた不良の四コマ pic.twitter.com/Dkn490Q98b
— 齊藤 万丈 (@BAAANG_joe) May 20, 2019
・午後6時に集合→6時に家を出るということが普通にあった古き良き?昭和の沖縄です。
https://twitter.com/KOpsyKO/status/1138045077559709697
ここまでは笑い話で済みますが、以下の引用はちょっと洒落になりません。試しに明治時代の沖縄時間の凄さをご参照ください。
●農工銀行株主総会
一昨九日南陽館に開会したり、定刻は午前九時なりしも例の沖縄時間にて株主の出席すること遅く、漸く議事に掛りしは午後一時も程なき頃なりき。議長開会を報し早速営業報告書を議案とす。高嶺朝教氏の発議にてその朗読は省かれたり、全体の順序としては先づ質問を為し次に本義に移るべき筈の所、議案が複雑せると議事の整理行き届かざるとに由りて、一定の順序を踏み得ざるのみか、討議やら質問やら交も紛出し議長やら答弁者やら判然せず重役やら事務員やら更にごった雑ぜなりしから、議場は先となり後となり幾度か往きつ戻りつ捗々しき進行もなくて徒に時間を移したる観なきにあらざりき。(中略)
引用:明治34(1901)年1月11日付琉球新報2面
補足すると、明治34年当時の沖縄県農工銀行(明治31年創立)の株主は沖縄における上級階級の人達ですがそれがこの有様です。しかも記事によると株主総会の議事がまともに進行していませんが、よく考えると時間厳守の観念がないと株主総会なんて円滑に進むわけありません。当時の第一級の人材ですらこの状態ですから、明治時代における沖縄県人の時間に対する感覚は察して余りあります。
ちなみに史料で確認できる時間厳守第一号は奈良原繁さんです。以下引用をご参照ください。
八 歴代の長官
第八代は奈良原繁、その在職は(明治)二十五年七月より四十一年四月に至る十五年十ヶ月で、二十二人の長官中最も長く在職し尤も多くの功績を残した知事さんで、在職中に男爵まで授けられたのである。(中略)その行動には豪放なところもあったが、又一面には細心の注意も往々伺はれ、如何なる集会でも定刻前五分か十分には必ず出席されたので、その在任中は所謂時間励行が自然に実行された。
引用:太田朝敷著『沖縄県政五十年』297~298㌻より抜粋
我が沖縄の歴史において時間厳守の観念は明治時代における義務教育の普及によってもたらされました。そして県知事自ら時間厳守の見本として振る舞ったことによる効果は非常に大きかったと考えています。現代では世界レベルでみると我が沖縄県民は模範的な時間厳守民族ですが、まだまだウチナータイムが散見されるのは否定できません。令和の時代には沖縄時間を撲滅して、過去の笑い話にしないといけないかなと痛感するブログ主であります。(終わり)