りうきうの “若気の至り”

以前、本土と沖縄の文化の違いや、りうきうの達人について、ブログ主なりの解釈をまとめて配信したところ、予想の斜め上を行く反響がありました。そのため、このシリーズの〆として “若気の至り” について言及します。

ただし、世代によって異なる分野なので、今回はアメリカ世時代から、平成にかけての話でまとめてみました。読者のみなさんも、何項目該当するかチェックしてみるのもいいかもしれません。

1.アメリカ世時代には、栄町(旧真和志市→那覇市)で “男” になるのがステータスだった。

※なお、調子に乗って通い詰めると、間違いなく “お土産” をもらってしまう。

2.復帰前後の大学生は、共産党や新左翼に加入しているのが一種のステータスだった。ただし、現在ではその過去ななかったことにされてる模様。

3.復帰前後のコザのバンドマンは “おクスリ” をキメるのが一種のブームだった。なおロックの重鎮たちは全員知らんぷりしている模様(喜納昌吉除く)。

※そのあたりの事情に詳しい人が、現在県知事を務めているのは内緒でお願いします。

4.学校の近くに “豪邸” が建っているケースがあったが、そうなると(お約束で)ピンポン・ダッシュが大流行した。なお、後日バレて担任にたっくるされる模様。

5.結膜炎が流行した際(昭和50年ごろから)、学校を休めるとの理由で、生徒間同士で結膜炎の接触感染が大流行し、緊急休校に追い込まれるケースがあった。

6.復帰後からラブホや自動車ホテル(モーテル)が激増した感があるが、モーテルに入る車を取り囲んで「ひゅーひゅー」とはしゃぐ遊びが流行った。

7.復帰後から “よいこがよんではいけない18禁” の本の自動販売機が設置されるようになり、深夜にこっそり購入する中学生が激増した。なお、その件で補導されると、翌日学校で “英雄(女子生徒から毛嫌いされる)” 扱いされる。

※その自販機で “さぶ” や “薔薇族” の存在を初めて知る初心な中学生多数あり。

8.米軍基地に忍び込んで、倉庫の品物(靴など)を取りに行く遊びが流行った。なお、成功例は一つもない。

9.市町村でのインフルエンザなどの集団接種では、ほぼ間違いなく他校とのケンカになる。なお、甲子園大会では30年前まで普通にあった模様。

10.森永カフェを飲み過ぎてお腹を壊す。

11.高校入学初日に「今日からタバコはやめる」と宣言する奴が必ずいた。なお、そいつは成人式の時にも同じセリフを吐いた模様。

12.成人式に “性人式” を挙行するため、成人の日のラブホ稼働率は半端なかったという。

13.「めーごーさー」は一本拳でされるのが “しに痛い” 。

14.「たばこ・やーちゅー」された人は意外に多い。ひとつは「やながんまり(度が過ぎるイタズラ)」で親にお灸をすえられるパターン、もうひとつは学校でシージャーからやられるケース。

15.方言が分からず、「やー・くわぁ!」と怒鳴られて、鍬を持参し、シージャからたっくるされたレジェンドがいる。

16.具志堅用高の逸話は、県民ひとりあたり3.5話は知っている。

17.のりぴー語を使いこなせた。

18.パチンコやパチスロよりも、ゲーム喫茶で “冥土逝き” になりかけたことがある。

19.米吉奈名子さん(奈名子のドリーム・コール)か、多喜ひろみさん(ハッピーアイランド)を神のように崇めたことがある。なお、ケンとマスミはそうでもない。

20.中学の卒業式に、改造チャリで暴走し、補導されたことがある。

21.最後に ”模合崩れ” だけは若気の至りでは絶対に許してくれない。ほぼ間違いなく本土逃亡→地元に戻れなくなる(終わり)。