今回は昭和50(1975)年7月17日に起こった “ひめゆりの塔” 事件に対する沖縄二紙の取り扱いの違いについて言及します。この事件は “コザ暴動” と “沖縄ゼネスト警官殺傷事件” と比べてみるとよくわかりますが、民間の反応が全然ちがうのです。
参考までにコザ暴動は「米軍が悪い」でだいたい一致、沖縄ゼネスト警官殺傷事件は「警官殺傷は行き過ぎ」「警察の報復行為は許せない」「オレたちは関係ない(ゼネスト主催者)」となりましょうか。だがしかしひめゆりの塔事件は判を押したかのように「いかなる暴力行為も認められない」で一致します。
一例として同事件に関する琉球新報の社説の一部を紹介しますのでご参照ください。
社説 皇太子殿下のご来沖
(中略)さて、皇室にたいする県民の感情と態度のあらわれ方は、けっして一様ではなく、それがいまの日本の国家、国体のあり方への問いかけになっていると、もし本土の国民にも理解されるならば、こんどのご訪沖をめぐる波紋にも十分意味があるということができよう。しかし、ひめゆりの塔前で発生した火炎びんによる皇太子ご夫妻への投てきのような行為は、たとえその訴えの趣旨がいかようなものであれ、認めることはできない。
言論、集会、デモの自由を守りそれらの手段でこそ主張は訴えられるべきであり、テロによって目的をとげようとするような行為は民主主義社会にあっては容認できないのである。第一こうした行為は沖縄の人間らしくない方法である。皇太子ご夫妻への沖縄からの問いかけは重いが、また沖縄も重い課題をつきつけられた、というべきであろう。(昭和50年7月18日付琉球新報2面)
参考までにこの社説は「さて」の前で延々と戦争責任論などに言及していますが、新報社が本当に訴えたいのは「さて」以降の言説です。大雑把にまとめると「皇室に対しての沖縄県民の感情は複雑であるが、暴力行為は認められない」になります。
ちなみに社説内で “天皇の戦争責任” に言及したのは、当時の琉球新報の購読層に配慮しての措置かと考えられますが、それでも「テロによって目的をとげようとするような行為は民主主義社会にあっては容認できないのである」と断じた琉球新報社の編集局の決断には素直に敬意を表します。
なぜ敬意を覚えたかというと、実は沖縄タイムスはこの事件に対して社説を掲載していないんです。事件から3日後の20日朝刊2面の大弦小弦でようやく事件に触れますが、琉球新報ほど明確に暴力否定を訴えていません。
しかも同面に “皇太子来沖の波紋” と題した解説記事を掲載していて(琉球新報社説の題字 “皇太子殿下のご来沖” と比較してほしいところ)、この記事でもひめゆりの塔事件については警備の不備に言及しているだけです。つまり当時の沖縄タイムス編集局には皇室に対する暴力否定を前面に打ちだすことができない “何か” があったわけです。
令和2(2020)年9月に発生した沖縄タイムス社員による持続化給付金不正受給に関してブログ主が印象的だったのは、同事件に対して記者たちが一様に口をつぐんだ点です。つまり危機の際に徹底的に営利企業としてふるまったわけですが、
営利に不都合が出ると判断した場合には徹底的に黙る沖縄タイムスの体質は昭和50年代も今も同じ
であるとブログ主は新聞史料をチェックして痛感した次第であります。