先日 Facebook をちら見していたときに気になる投稿がありました。日時を確認すると、10月19日、投稿者は親川志奈子さんで、この時点で彼女の経歴は寡聞にして知りませんでした。10月18日の高江における機動隊員の土人発言に対する投稿のようです。全文を書き写しましたので是非ご参照ください。。
*彼女が日本国からの独立を志向している件はあとから知りました。琉球民族独立総合研究学会の一員です。
日本人に「土人」と呼ばれた経験を2016年の琉球人がしたのだということ。これは言った人と言われた人のパーソナルな出来事ではなく、日本人と琉球人の間で起こったパブリックな事件である。
「土人」や「シナ人」という差別用語を投げつける日本人抑圧者と対峙する時、私たちは決して「土人なんかじゃない」「シナ人なんかじゃない、私たちは日本人だ」と反応してはいけない。
それは100年以上前の人類館事件は近年と豊見城市議会や石垣市議会が示したように、差別を肯定し抑圧者に同化し自らに降りかかる火の粉だけを振り払う愚かな行為に過ぎず、「女のくせに」と言われた私が「女なんんかじゃないもの」と言い返すぐらい滑稽な姿でしかないのだから。
ヘイトスピーチを取り締まる側から発せられるヘイトスピーチに直面する私たちの闘う力が確かに問われているのではないだろうか。
上記の投稿ですが、正直なところ最初は何を言っているのか全く分かりませんでした。気になって何度も何度も読み返して、なぜこの投稿が理解し辛いのかを考えると、それは彼女が定義している “琉球人” が何か分からないことに気が付きました。
具体的には彼女の言う琉球人が現代の沖縄県民を指すのか否かがハッキリしないことです。だから文章全体の真意が掴みにくいのですが、琉球人の定義うんぬんはさておき、この投稿における彼女の真意はおそらく
・彼女が定義する琉球人は日本人に差別されている。
・10月18日の高江における機動隊員の土人発言は現場レベルの問題ではない。
・そしてその差別された状態から琉球人を解放したい。
の3点になります。明らかに親川さんは「琉球人は日本人に差別されている」「日本人と琉球人は違う」との前提で論を組み立ててます。言い換えると彼女の中で確固たる定義があって、それに合致する事実を貼り付けして文章を纏めているのです。この手法は珍しくも何ともなく、歴史の記述も同じ手順で行われますし、最近の中国脅威論も結論ありきでの主張が非常に多いです。
上述した差別からの解放の概念は、彼女のオリジナルではなく、琉球・沖縄の歴史において明治の時代からの伝統的発想と言っても過言ではありませんが、親川さんの特徴は日本国からの独立という手段を以て差別からの解放を想定していることです。実現可能か不可かの論議は置いといて、今回はせっかくいいネタを提供していただいたので、琉球・沖縄の歴史における差別からの解放の概念ついてブログ主が調子に乗って記述していきます。(続く)
親川さんのアカウントです。
アフリカ系アメリカ人と同じものを持ち込みたいそうです。
https://twitter.com/Oshinako
https://twitter.com/Oshinako/status/794645855525433344