本日『うるま新報』ほか戦時中および戦後の新聞をチェックしている際に、偶然ではありますが興味ある記事を発見しました。本命は「玉城繁政」という人物を調べていたのですが、それとは別に沖縄ヤクザ界における大物と思わしき人物が引き起こした事件についての記述が見つかりました。早速ですが読者のみなさん、是非ご参照ください。
1951年1月24日付、うるま新報2面
飲食店荒らす村のダニ – 小祿村で五名捕わる
十九日午後八時ごろ小祿村●川班無職上地次郎(23)同津真田班無職みや城金太郎(23)同班無職島本哲次(23)同當間清一(26)同上原勇吉(21)他三名は共謀のうえ知り有の同村宇栄原六班(大島生れ)山田武志君(23)宅におしかけみや城がドスを疊につき立てやくざ風に仁義を切り「君のモルヒネはどこに流したか」と脅迫し逃げ出そうとした山田君を上原と島本が手拳で顔面を殴打、更に山田君が妻と共に近くの義兄の所に避難した留守宅を幸に折たたんだ「ふとん」の中に火のついた煙草をはさんで放火を企んだが暫くして家の様子を見に來た妻が發見大事に至らなかつた、山田君の訴えにより那覇署小祿警部補派出所では二十日前記五名を検擧、「脅迫」「傷害」「放火未遂」で目下取調中だがかれらは小祿の飲食店街を荒らしていた「ダニ」で人々から嫌われていたもの
”村のダニ”とか”大島生れ”と明記するあたり時代を感じさせますが、この中に1人見覚えがある人物がいます。お気づきかと思われますが、上原勇吉(21)のことで、なんとこの人物は第四次沖縄抗争(暴力団抗争)における上原組組長と同姓同名なのです。
この記事に明記されている”上原勇吉”が後の沖縄連合旭琉会の上原組の組長と同一人物なのか否かは、その他史料が見つからないので現時点では断言できません。だがしかし「脅迫」「傷害」「放火未遂」の容疑で逮捕される凶暴さと、年齢的に又吉世喜、新城善史ら同世代であることを考慮すると、同一人物と見做してもいいのではないでしょうか。ちなみに彼が沖縄ヤクザ界に名を知られたのは第二次沖縄抗争の時からです。
又吉や新城といったビッグネームより先にマスコミデビューしていたかもしれないところが実に興味深いです(終わり)。