(続き)今月1日の琉球新報の記事に端を発した炎上騒動、そしてこの案件に関する沖縄2紙の報道をできる限り書き写したところ、興味深い事実が浮かび上がってきたので、検証記事としてまとめてみました。
まず気になったのは、当事者である琉球新報が厳しく米軍を批判するのは分かりますが、同業者である沖縄タイムスが冷静な報道に終始している点です。具体的には “米軍由来” プラス “記者の受難” という(沖縄的には)美味しいネタが転がってきた割には、不自然なまで冷たい態度なのです(なお、この案件を取り上げた今月4日の大弦小弦については改めて言及します)
次に、これは沖縄2紙に共通する事例ですが、米兵が記者に銃口を向けた件での “読者の投稿” が見当たりません。
そして、この点が一番重要ですが、1日の報道から3日経過した4日現在においても “専門家の検証” がなされていないのです。
今回の案件における記者の主張、そして米軍の反論は誤りとはいえません。問題は “米兵に銃口を向けられた” との記者の主観を鵜呑みにして記事を掲載した琉球新報社の編集方針なのです。
つまり琉球新報社は “米軍由来+購読者受け” のネタは真面目にファクトチェックする気がないと世間に宣言しているようなものです。しかもネット上で炎上した後も、専門外の山城博治さんに(都合のいい)コメントを求めるあたり、とてもまともな新聞社のやり方とは思えません。山城さんだって、そこは以心伝心、大人の対応で気を利かしたコメントを提供してましたが、内心は迷惑なはずです。
ブログ主が思うに、
購読者向けのネタに対して部外者(=非購読者)がガタガタ抜かすな
という編集局の本音は昭和の時代なら通用したでしょうが、残念ながら現在ではアウト判定です。そしてその点に気が付かない、あるいは気が付いてもどうすることもできない “硬直した社風” が結果として炎上騒ぎになってしまった最大の理由なのです。
だがしかし、ここで視点を変えてみましょう。4月1日はご存じの通り “エイプリール・フール” であり、米兵が記者に銃口を向けた初報も4月1日付です。ということは、琉球新報社はエイプリール・フール企画の一環として、
世間に潜むマヌケを焙り出すためにあえて “飛ばし記事” を提供したのでは
との仮説も成り立ちます。そして、実際に何人もの著名人が琉球新報の “釣り” に引っかかてましたが、参考までに一番の大物を紹介します。
米軍那覇港湾施設(那覇軍港)で訓練中の米兵が基地の外にいた琉球新報記者に銃口を向けた件について、沖縄県の玉城デニー知事は4日、那覇市の県庁で記者団の取材に「けしからん。絶対にあってはいけない」と不快感を示した。(以下略)
引用:令和4年4月4日付 琉球新報DIGITAL / 玉城沖縄知事「あってはならない」と不快感 「米兵が記者に銃口」で見解
ブログ主は琉球新報社の身体を張った “自爆芸” にある種の敬意を覚えつつ(ただし見習いたいとは言ってない)、今回の記事を終えます。