今回の突っ込まざるを得ないシリーズは、昭和36(1961)年11月22日付琉球新報夕刊から、ちょっと目を疑う内容の記事を紹介します。ちなみに記事そのものは美談であり、働き者のタンメー(老人)を町が表彰するという、勤労感謝の日にふさわしい内容です。
ただしこの記事をよく読むと、「はいっっ?」としに突っ込みたい箇所があり、ためしに今回は全文を書き写しました。記事そのものは長いので分割しています。読者のみなさん是非ご参照ください。
沖繩一のスーパーじいさん
若者しのぐ働き者 / あす勤労感謝の日に表彰
【与那原】働いては若者そこのけ “スーパーじいさん” が与那原町の “ニコヨンさん” として、毎日ツルハシをふるっている。その年は何と83歳。3つになる一番下の男の子をはじめ4人の妻子をかかえて、子供が一人前になるまでは…と、元気いっぱい。文字通り、沖縄一の “スーパーじいさん” である。与那原町ではあすの勤労感謝の日に模範労働者としてこの人を表彰する。
この人与那原町当添3班、屋比久次郎さん(83)が失業対策の道路作業や下水溝工事で働き始めたのは58年11月、この事業が始まったときからだという。屋比久さんは町でも最古参の人夫となるわけだが、若いものに負けない元気な老人。1日に深さ1㍍幅1㍍の下水溝を15㍍も掘ってしまうという “スーパー老人” で仕事仲間の若者たちもかなわない。
いまもむかしも “規格外” はいるんだなと感心しつつも、次の箇所から話がおかしくなります。
屋比久さんがこの失業対策ではたらいてから今月でちょうど満4カ年、家族は20年前に大東島へ出稼ぎに行って知り合い結婚した妻のヨシさん(41)と
長男信武君(9つ)、長女春子ちゃん(6つ)、次男直次ちゃん(3つ)
の5人ぐらしだが、3日ごしの仕事でもらう1㌦余りの金で足りない、老人はその暇に日雇に出て働くという文字通り一家の大黒柱。
あすの表彰を前に、もくもくと道路にツルハシをふるう屋比久さんに仕事はきつくありませんかときくと「やはり年はあらそえんわい。ときどき腰がいたみます。仕事はなれているからつらいと思ったことはありませんヨ」と力いっぱいつるはしを振り降ろした。
あのう...すいませんが、次男直次ちゃん(3つ)という単語がものすごく違和感ありますが、気のせいでしょうか。多分気のせいと思いながら、次の記事にすすみます。
小柄だが頑丈な体格の “スーパーじいさん” は黙々と下水溝を掘る。
「子供がみんな小さいので一人前に育て上げるまではがんばります。政府の救済も受けていますが、自分と子供の世話が出来ないようでは恥ずかしいと思います」
そして町役所が表彰するということについて「私は自分の生活のために働いただけだ、その上表彰を受けては恐縮」と謙そん、それでもうれしそうにしわくちゃな顔をほころばせた。
この働き者の老人をかこんで失対事業の仲間たちも「じいさんの働きぶりを見ていると自分たちも働く意欲がわいてくる」といっている。
ふつうなら隠居して孫と遊んでいる年のこのスーパーじいさん、きのうも、きょうも、そしてあすも黙々とつるはしを振るうことだろう。若い者、顔負けの元気さで。(昭和36年11月22日付琉球新報夕刊3面)
いかがでしょうか。たしかに記事そのものは美談ですが、なにか(男として)ひっかかるものがあるのがお分かりでしょうか。そしてブログ主はこの記事を読んで、
アメリカ世は “ダニ” だけでなく “妖怪” まで生息していたのか
と驚愕した次第であります。(終わり)