これまで当運営ブログでアップした “おクスリ” 関連の記事に関して、読者の便宜を図るべく、まとめページを作成しました。アメリカ世時代の矛盾、そして復帰前後のポップ・アートの暗部を象徴する事例として、ブログ主が見つけ出した史料を不定期にアップしていきます。
我が沖縄における “おクスリ禍” の変遷は、昭和42年ごろからまん延し始めたシンナーに始まり、マリファナ、ヘロイン、そして大衆文化に最も影響を与えたLSDと続きます。ちなみに、覚せい剤は遅れて昭和46年(1971)ごろ、沖縄本島に進出した「トルコ風呂」からまん延し始めたのが通説です。なお、この手のアンダーグラウンド関連は、巷のお上品な歴史研究家では荷が重い案件ですが、当時の沖縄社会の実情を推測する最良の史料でもあるので、当ブログでは積極的に取り上げていく予定です。読者のみなさん、是非ご参照ください。
・ここからは、昭和48年(1973)9月19日から全16回にわたって掲載された琉球新報特集記事「恐怖の白い粉」のまとめです。