先日、故富永清旭琉會会長に対する弔電の件で沖縄市と琉球新報との間でちょっとしたトラブルがあったことが産経新聞に報じられていました(暴力団幹部の死去をめぐり、沖縄市と琉球新報が批判応酬)
ブログ主は7月15日付沖縄タイムスに掲載されたお悔やみの記事をチェックしたのですが、どうみても「一般の方である喪家から申し込みをいただき、指定暴力団による組織としての葬儀ではなく、ご家族が喪主の一般葬であるとの認識で掲載した(琉球新報)」との言い分は無理があるなと思いつつ、過去の暴力団幹部のお悔やみ記事を調べたところ面白いことがわかりましたので紹介します。
まずは下記コラムをご参照ください。
金口木舌 やっぱり起きてしまった。暴力団旭琉会からリンチ事件を機会に脱会者が出た。短銃など飛び道具が多数基地から流れだしている‣この二つのニュースを結び合わせると、暴力団の内部抗争が再び弾丸をぶっ放しそうな雲行きだった。大ぜいの一般客のいるクラブでピストルを乱射するとは映画「ゴッドファーザー」「バラキ」もどきの大活躍だ。スクリーンの上なら娯楽巨篇のスリルもある。だが沖縄のよく人の集まるところでの実演となると、面白がっていられない。いつ流れ弾がとんでこないともかぎらない‣派閥争いの”仁義なき戦い”がところかまわずパン、パーンとはじまるようでは秩序も平和もあったものではない。ジャングルの世界のような弱肉強食。銃口や暴力が沖縄を支配することになる。正業につき、他人様に迷惑をかけず、ひたいに汗して働く団体ならば、だれも文句はいうまい。高張りちょうちんをだし、事務所を構える。年中、幹部クラスが一般市民にめいわくをかけているのでは社会が公認した暴力団ということになる‣この黒い団体と関係をもった警察署長もいた。バー街はおろか、流通、不動産、交通運輸にも手をひろげ、ちょいとしたコンツェルンだ。なにかの拍子にドスをちらつかせたお兄さんが出てくる。深夜営業、裏口繁栄の沖縄の飲食街であってみれば”悪の掟”の番人の存在理由は十分にあるのだろう。デモ隊や国会議員を存分に殴る警官も、黒いお兄さんの集団には妙に遠慮している – という印象もある‣警察をふくめ、われら沖縄社会がかかえる暗黒部分なのである。
引用:昭和49年10月26日付琉球新報1面
補足すると、「やっぱり起きてしまった」とは昭和49年10月24日、宜野湾市真栄原で起こった殺人事件のことを指します。旭琉会の幹部がナイトクラブで射殺された事件は当時の沖縄社会に衝撃を与え、同年10月26日の琉球新報2面では「暴力団の排除に立て」と題した社説も掲載されていました。
ここまでなら至極ごもっともな流れですが、同日の琉球新報2面のおくやみ欄(社説と同じ面)をチェックすると、思わず突っ込まざるを得ない記事が掲載されていました。是非ご参照ください(一部モザイク処理済み)。
ちなみにこの新城喜史という人物は、10月24日に真栄原で射殺された旭琉会の大幹部(理事長)で、琉球新報もこの事件を大々的に報道していました(一部モザイク処理済み)。
10月26日のお悔やみ記事は「ご家族が喪主の一般葬であるとの認識で掲載した」かどうかは不明ですが、記事掲載には当然広告料を支払う必要があります。金口木舌は「警察をふくめ、われら沖縄社会がかかえる暗黒部分なのである」と〆ていますが、
まさか新聞社が暗黒部分を率先して示してくれるとは昭和の時代恐るべし
とブログ主は驚愕した次第であります(終わり)。
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