うちな~んちゅと他責の精神

先月26日に開会された沖縄県議会の9月定例会は、初日から最終本会議の23日まで歴史に残る荒れ模様の展開になってしまいました。結果的にかつてないレベルで玉城県政の “無能ぶり” が日本中に知れ渡ったわけですが、個別事案はさておき、今回は(県政のやらかしに対する)知事を支える支持者たちの反応が極めて興味深かったので、ついうっかり調子に乗って考察してしまいました。

以前、当ブログにて「うちな~の “奥義”」と題した記事を配信しました。沖縄県民が自分の所属あるいは支持する団体にとって不都合な出来事が起こった際に、どのような行動を取るかを説明した内容ですが、今回の9月定例会は、うちな~の奥義(なじきる相手がいないと有耶無耶にする)を考察する上での格好の素材なので、試しに2~3の例を挙げてみます。

たとえば県庁地下駐車場からPFAS含む消火剤が沖縄県庁(地下タンク)から流出した案件では、県政与党議員のコメントとして「自民党は(PFASの件では)米軍には抗議しないのに…」との捨て台詞を吐いた件が琉球新報に掲載されていました。また違法会計など県政の度重なる不祥事に関してSNS上では「那覇市議の件にも突っ込め」だの、「自民党はほかにもやることがあるでしょう」などの投稿も散見されました。

これらの反応は(自分たちに都合が悪すぎるので)他の事例を出して有耶無耶にしようとする “うちな~の奥義” の行動パターンそのものなのです。そして、奥義の使い手は「自分たちは常に被害者である」という朝田理論を水で薄めたような  “被害者ポジション” でマウントを取りに来る習性がある件については言及済ですが、今回はさらに深堀りして、被害者ポジションの背景にある「共感能力の欠如から生じる他責の精神」について言及します。

ここで他責の精神とは、「物事・結果の原因や責任が他者にあると思いふるまう行動様式」と定義しておきます。そして他責の精神を支えるのが “共感能力の欠如” であり、情けないことに我が沖縄ではアメリカ世から現代にいたるまで猛威を振るっている行動様式の一つなのです。

共感能力の欠如は、具体的には「相手の立場を理解できない」とのことですが、我が沖縄には(保守・革新問わず)「ぼくのかんがえるさいきょうのりうきうしゃかい」を絶対視するがゆえに、他者の立場を全く考慮せず、マウント・トークに精力を傾ける痛い輩が大量に生息しています。共感能力の欠如が先天的なものか、それとも所属している団体などの影響なのかは判断できかねますが、自分が相手に対する言動が、(都合が悪い時に)自分にも跳ね返ってくるのを防ぐために “うちな~の奥義” を乱発する心理はよ~く理解できます。

誤解を恐れずに断言すると、現代の沖縄県政における最大の問題点は

「共感能力の欠如から生じる他責の精神」にどっぷりつかった輩が玉城デニー知事を支えている

点につきます。「うちな~んちゅのことはうちな~んちゅで決める」とこうなっちゃうのかなと余計なことを思いながら、あと3年こんな連中に囲まれて県政を運営せざるを得ない玉城知事にちょっとした哀れみを覚えつつ今回の記事を終えます。