今月23日に投開票が行われた名護市長選挙は、大方の予想通り現職の渡具知武豊氏が新人候補に圧勝しました。傍目で見ても岸本候補の力量不足は明らかであり、この案件については後日言及するとして、今回は我がうちな~の “奥義” を大公開します。
ここではあえて奥義(おうぎ)なんて大それた言葉を使いますが、具体的には社会的な大事件、特に自分や所属する団体にとって不都合なことが起こった場合、(昭和世代の)沖縄県民はどのような思考回路で反応するかの説明です。
結論を言うと「だれになじきるか」の行動パターンが奇妙なまでに一致します。参考までに “なじきる” とは沖縄の方言で「~のせいにする」を意味し、そして面白いのは責任を擦り付ける順番がちゃんと決まっているのです。
まず、社会的大事件が起こった場合、沖縄県民(特に革新支持者)は「それは米軍が悪い、かつての米軍支配の弊害だ」と考えます。たしかにアメリカ世時代は米軍人・軍属の起こしたえげつない事件が多発してますので、当時を知る世代(とその子供たち)はそう考えてしまうのも無理はありません。
今回の名護市長選挙でも12月末から1月にかけてのコロナ感染者数の爆発的な増加を、岸本ようへい陣営は「米軍コロナ」あるいは「米軍由来のコロナ」と表記していました。そして玉城デニー知事が「日米地位協定」と絡めてこの問題を政治利用したあたりはまさに典型的なアメリカ世時代を生きた世代の発想です。
だがしかし、世の中の不都合な事件はすべてアメリカ由来とは限りません。その場合は次の策として「日本政府が悪い」と考えます。「社会のヒズミは政府の政策がおかしいからだ」と唱えます。そして自民党の議員さんに社会のヘイトが向かうように声高らかに主張するのです。
最近の例でいえば、安倍晋三氏や菅義偉氏あたりは首相在任中に酷いレベルで一部沖縄県民(県外移住者も含む)から罵声を浴び続けられました。しかも既存マスコミが「権力を監視する」の名目で “政府になじきる論説” を大量に書き続けてきましたので、「トップが腐ると末端までダメになる」という思考は社会の隅々にまでいきわたってしまったのです。
もちろんアメリカや日本政府、そして自民党起因以外にも(予期せぬ)トラブルは発生します。その時点で初めて「県が悪い」と考えるようになります。たとえば首里城火災は県にヘイトが集中しましたし、昨今のオール沖縄の勢力が低下したことに関しては「知事の求心力が落ちた」と主張します。古い話では琉球政府時代は行政主席が住民のヘイトを一身に集める存在だったのです。
ざっと説明しましたが、社会的事件が起こった際の責任を擦り付ける順番があって①アメリカ ②日本政府(と自民党) ③沖縄県庁(そのトップである県知事)となり、なじきる相手がいない事象に対しては “うやむやにする” という最終手段が発動します。
これがうちな~の “奥義” なのです。
なぜそうなったかは簡単に説明できるのですが、奥義を発動する輩は「自分たちは常に被害者である」という朝田理論を水で薄めたような “被害者ポジション” でマウントを取りにくる習性があります。意外にも戦前の沖縄県人には(ブログ主が知る限り)そのような発想はありません。やはり大東亜戦争の敗北と、その後の米国による支配が一部沖縄県民に強烈な “劣等感” を植え付けたのが原因と断言できます。
だがしかし、それが通用するのは復帰前後に生まれた昭和世代までで、平成以降の世代にはこの “なじきる奥義” が通用しません。それを如実に証明したのが今回の名護市長選挙での岸本ようへい候補の敗北です。そしてブログ主は “なじきる奥義の使い手” が今後絶滅し、我が沖縄の未来に光が見えたと確信して今回の記事を終えます。
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