うちなーの正覚者

当ブログにおいて、前回 “うちなーの奥義” と題した記事が意外な反響を呼びましたので、今回はそれに関連して “うちなーの正覚者” について言及します。

参考までに正覚者(しょうがくしゃ)とは仏教用語で “真理をさとった人” という意味で、大雑把に説明すると空(くう)の思想の体得した人物のことです。そして空とは無と誤解されやすいのですが、仏教における “空” とは相依(そうい)、つまり互いに相寄ることで成立する関係(相関関係)になります。

たとえば無(なし)は対概念であり、有(あり)があって初めて成立します。長・短も明・暗もそして父と子の関係もまさに相関関係であり、例えば長は〈長〉という独立した本質を持つことはありません。短いものがあって初めて “長い” と認識されるわけです。そしてこの世のものはすべて相関関係によって成り立つという考えが “空観” です。

少しややこしい前置きになりましたが、政治の世界もまさに相関関係で成り立っています。例えば「保守と革新」「右と左」、またはネット用語の「ネトウヨとパヨク」は互いに相寄って成立する概念です。そうなると、巷でちらほら唱えられている「右でもなく左でもなく、左右を克服した第三の道」はありえないことに気が付くはずです。

つまり、右がなくなれば、相関関係の左もなくなるわけで、その上位概念である第三の道が存在するはずがありません。そのように主張する本人が気が付いていないだけで、政治姿勢が右か左に寄っているのが現状なのです。

だがしかし、我が沖縄には例外があります。「右でもない、左でもない、前に進む」と “この上ない最上の覚り” に至るケースがあります。一例として画像を貼り付けておきます。

もうおわかりかと思われますが、沖縄問題の根源は “米軍由来” であると認識・行動し、そして “うちなーの奥義” を自在に使いこなすレベルになってはじめて “うちなーの正覚者” として生まれ変わるのです。そしてその最高レベルがご存じの通り故翁長雄志氏です。

ただしそれは保守・革新を超えた思想ではなく、空の思想とは似ても似つかない〈空(からっぽ)〉なんです。ちなみに〈空〉の思想は沖縄戦の敗北からアメリカ世時代に誕生したのですが、残念なことに我が沖縄では既存マスコミがこの手の “正覚者” を持て囃す風潮がありますので、戦後70年以降経過したいまでも「米軍ガー」の響きがやまない現状があります。

だがしかし、うちなーの正覚者に生まれ変われるのはアメリカ世を経験、あるいは復帰前後に生まれた世代までで、平成以降に生まれた沖縄県民には絶望的に無理な話です。その理由は前にも指摘しましたが、名護市長選挙において “うちなーの奥義” を駆使して選挙戦を展開したオール沖縄陣営が大敗した事実があります。そしてブログ主は今秋予定の沖縄県知事選挙において、オール沖縄の擁立候補(今のところ現職の玉城デニー知事)がぼろくそに破れて、戦後最大の負の遺産である〈空〉の思想にトドメを刺してくれないかと願う今日この頃であります。(おわり)