ここ数日、ブログ主は昭和47年(1972)の新聞記事をチェックしていますが、印象的なのが(現代に比べると)米軍人たちのやらかしがとにかく酷い件です。この年の(県内の)犯罪発生率は大雑把に言うと現代の3倍ぐらいですが、それにしても同年だけで加害者米兵、被害者沖縄県民の殺人事件が4件も発生してますので、当時の人達が「米軍は諸悪の根源」と叫びたくなる気持ちは理解できます。
ただし、昭和47年から令和03年(2021)までの米軍構成員等事件(件数)と凶悪犯(件数)のデータを図解すると、極めて興味深い点に気が付きましたので当ブログにまとめてみました。参考までに「為替レート(USドル/円)」「(沖縄県内における)交通事故死者数」「人口10万人あたり交通事故死者数」のデータも併記します。読者の皆さん、是非ご参照ください。
※この表は著作権フリー扱いにします。
まず、米軍人・軍属のやらかし件数をチェックすると、昭和52年(1977)をピークに緩やかに減少していることがわかります。なお、減少した理由の一つが、昭和53年(1978)からの円高の影響で間違いありません。円高の進行具合と米兵たちのやらかし件数の減少が明らかに同調しているからです。特に昭和61年(1986)のプラザ合意の影響による急激な円高進行と、(米軍人・軍属による)凶悪犯件数の激減は注目に値します。
ちなみに、沖縄県における交通死亡事故のデータを併記した理由は、”社会の民度” を推測するのに最も有効な指標のひとつだからです。そしてこの表から推測するに、復帰後から昭和51年(1976)ごろまでは米軍人・軍属、そして沖縄県民の秩序意識が現代と比べて著しく低いのがよくわかります。
※注目は昭和52年(1977)の米軍人・軍属の凶悪犯件数で、この数値はハッキリいって異常です。
ただし、昭和53年を境に、県内が落ち着き始め、平成5年(1993)以降は、米兵たちによるやらかしも、県内の交通死亡事故データも減少し続けており、現代はきわめて住みやすい社会であることが一目瞭然です。興味深いのは米軍人・軍属の犯罪件数のほうが、沖縄県内の交通死亡事故データよりも先に減少傾向に転じた点です。
※沖縄県内における交通死亡事故のデータが昭和52年から平成10年ぐらいまで横ばい傾向なのは、“飲酒運転” の影響があると思われますが、この点の検証は今後の課題になります。
この表を作成して確信したのは「米軍は諸悪の根源」の命題が強い説得力を持ったのは昭和52年までであり、在沖米軍が「軍紀の粛正」に取り組んだ結果、犯罪発生件数も凶悪犯件数も激減させた事実です。もちろん円高の影響も大ですが、軍当局者たちがいかに真剣に対応してきたかがデータ上からハッキリわかります。
それゆえに、もうちょっと在沖米軍当局の努力を評価してもよさそうな感じですが、我が沖縄ではそんな声は上がってきません。やはり復帰直後の “原体験” が強烈だったがゆえに、「米軍は諸悪の根源」の命題を新報、もとい信奉する輩がいまでも社会に大きな影響力を持ち続けているのです。ただし、個人の思想信条として命題を信奉するだけならまだしも、「米軍は諸悪の根源」に合致する事例のみを取り上げて大声で叫ぶのが日課となっており、彼らはハッキリいって米軍人・軍属よりも厄介な存在に成り下がっている感すらあるのです。つまり、
馬の耳にお陀仏
な県民が一定数いる残念が現実があるのですが、そういう輩は華麗にスルーして、復帰から現代にいたるまでの米軍当局の努力に感謝しつつ今回の記事をまとめた次第であります。
【参照データ】
・為替レート(USドル/円):為替レート(USドル/円)の推移
・米軍構成員等事件(件数)と凶悪犯(件数):Ⅳ 演習・訓練及び事件・事故の状況
・交通死亡事故データ(昭和47~平成27):「安全のしおり」(公益財団法人沖縄県交通安全協会連合会)
・交通死亡事故データ(平成28以降):令和4年版交通白書[PDF:8.06MB]