前回アップした “【島津入り】りうきうはなぜ薩摩に敗れたのかの考察 “がブログ主の予想の斜め上を行く反響を呼んだので、今回は理解の補足資料として神権政治(シオクラシー)について言及します。
ちなみに現代のうちなーんちゅは日常生活において “神” を意識する機会がほとんどありませんが、古りうきう民の神概念を考察すると、大雑把ではありますが下図のようにまとめることができます。
つまり、神とは自然と人工(文明)の上位概念であり、その両者を制御できる力を持つ存在なのです。この発想は世界は神と人間(自然と文明)で成り立っているとの二元社会が前提にあり、そしてりうきうに限らず世界共通の概念であったことは疑いの余地がありません。
神と人で成り立つ二元社会には必ずと言っていいほど “呪術” の存在があります。ここで呪術を定義すると、それは “神を操る、あるいは操られる技術” のことであり、そうなると必然的に
神を操る(あるいは操られる)者が権威を行使する社会
が誕生します。その政治形態が神権政治(シオクラシー)なのです。
神権政治の特徴は権威と権力が必ずしも一致していないことです。むしろ別々である事例が多いのです。一例として我がりうきう社会では権力は王(あるいは地方の権力者)、権威は神女と分化していました。尚真王と聞得大君の関係などはまさに理想的な権威と権力の共存関係です。
ここまでの説明で、古りうきう社会における神女たちの権威について理解できたはずですが、ではなぜ首里の権力者が神女たちの組織化を試みたのかを考えると、単純に神女同士で揉めた場合は調整機関が必要だったからと推測しています。もちろんそんな揉め事は史料などで確認できませんが、神女間でいざこざがなかったとは信じられませんし、根本的に権威の対立は権力者では解決できません。最終的にはより上の権威をもって対立を解消するしか方法がないのです。
一番やっかいなのが地域の権力者間での揉め事に神女(権威)が介入したときです。そうなると古代社会では血の雨が降ること確定案件なので、上位の権力者も対立を放置するわけにはいきません。そうした出来事が積み重なった挙句の解決策の一つとして神女の組織化が実施されたのではと考えられるのです。
参考までに神女が組織化された理由のひとつに
尚維衡の血族が未来永劫王位に就かないようにとのオギヤカさんのどす黒い怨念
がありますが、社会の要請とも相まって(神女の組織化は)結果的に歴史上最も成功した政治改革になったところに、我がりうきうの歴史の面白みがあると実感したブログ主であります。