「基地反対」のレトリック

平成30年(2018年)も残り少なくなりました。今年は今回を含めて208記事を配信しましたが、よくこれだけネタがあったもんだと我ながら感心している次第です。そして〆の記事はちょっと真面目に「基地反対」について言及します。ちなみにこの言葉が一般化したのは昭和43年(1968年)の主席選挙からで、当時の社会大衆党・社会党・人民党が屋良朝苗候補を擁立する際の「統一綱領」として「基地反対」を唱えたことがキッカケです。この件に関しては屋良さんの証言がありますので、是非ご参照ください。

実は、私たちの統一綱領では初め、「基地撤去」「安保廃棄」となっていた。これらは基本的な理念ではあるけれども、あまり現実から遊離すると、相手につけ入れられるおそれがあるため、私の注文で「反対」にとどめてもらった。

引用:屋良朝苗回顧録(朝日新聞社刊行)102㌻

ちなみに屋良さんが所属している沖縄教職員会は「基地撤去」を主張していました。この件に関しては昭和43年10月21日の政見発表立ち合い演説会(琉球新報社主催)における下記引用をご参照ください。

屋良候補への質問

三、基地の取り扱いについては、共闘会議さん下の各党は、次のような違った主張をしています。屋良候補はそのうちいずれを推進しようとしていますか。

①核基地撤去、基地の自由使用反対(ということは核抜き基地又は自由使用できない基地には積極的には反対しないということになる)。社大党の主張

②一切の軍事基地の即時撤去。社会党、人民党の主張

問い三への答え これは全くの愚問だ。はっきりいって教職員会長としては基地撤去をいっているが、これは統一綱領にまとめている。われわれは理想を志して行かなければなりません。われわれの知恵をしぼれば必ず解決できる問題だ。

引用:昭和43年10月22日付琉球新報より

ブログ主なりにまとめると、理念としては「基地撤去」も沖縄の現実を顧みると「基地反対」と訴えざるを得ない、基地沖縄の現実を認めつつ、我々は理念に向かって進んでいかなければならないことになりましょうか。つまり”やむを得ない理由があれば、基地は黙認する”ことを暗示しているのです。これが「基地反対」のフレーズの隠された本音です。

現実を無視したスローガンは却って現状を固定化する

それとブログ主の推測ですが、屋良さんが「基地撤去」「安保廃棄」のスローガンを「反対」に変更した理由は、あまりにも現実離れした主張は却って現状を固定化してしまうことを危惧したのではと考えています。人民党や社会党の「一切の軍事基地の即時撤去」のスローガンは確かに勇ましいのですが、当時の沖縄の現実を考えると不可能であることは誰の目にも明らかでした。

主席選挙の対立候補である西銘順治氏は同立ち合い演説会において次のように述べております。

(中略)沖縄の経済はここ数年来飛躍的な発展を遂げてきました。それに伴って県民の生活水準もいちじるしく上昇いたしておりますが、一人あたりの国民所得は本土平均の約半分、57㌫にすぎないのであります。しかもこの経済成長の内容を検討した場合、そこには解決にかなり困難を伴う幾多の問題が存在しております。すなわち沖縄の経済は米軍基地と日米両国政府からの援助という二つの大きな柱にささえられてようやく対外収支のバランスを保っているということであります。とくに沖縄経済に占める基地収入の依存度は、対外収支の受取額の54㌫にも達しているのであります。(下略)

引用:昭和43年10月22日付琉球新報

上記引用は当時の沖縄社会の現実を如実に示していますが、このような社会環境の中で「安保廃棄」「基地撤去」を唱えても広範囲な支持を獲得することは難しく、むしろ基地沖縄の現状を固定してしまう可能性が高くなります。屋良さんは沖縄教職員会長として米国民政府との折衝で苦労した経験があります。それ故に理想と現実との折り合いが付くように「基地反対」のフレーズを創り出すことができたのです。

「基地反対」と「基地撤去」の区別ができない平成の世代

ブログ主が最近気が付いたことですが、意外なことに沖縄の若い世代には「基地反対」と「基地撤去」の区別がついていません。特に平成生まれの世代は基地反対の主張が結果として中国共産党や朝鮮労働党に利する恐れがあると警戒する向きがあります。「辺野古新基地反対」を唱える人たちが「市民」の名をかたり県外や国外からの活動家を誘致している現状を考えると、やむをえない部分もありますし、何時までも一本調子で「基地反対」を唱えるのではなく、国防のことを真剣に論議すべきとの意見もあります。

平成生まれの世代にとって日米安保条約と在沖米軍基地は「東西冷戦に勝利した最大の要因」であり、昭和世代の「敗戦の象徴」という認識はありません。彼等は生まれた時から「日本人」で「冷戦の戦勝国民」です。「琉球住民」かつ「大東亜戦争の敗北」を経験した世代の思想・信条が理解できないのも無理はありません。それ故に「基地反対」の裏にかくされた本音に気が付かないのです。

繰り返しますが「基地反対」のフレーズにはやむを得ない理由があれば米軍基地の存在を黙認するという考えを内包しています。それ故に中国の軍拡や北朝鮮の核開発の現状を知りつつ「基地反対」を唱えるのは矛盾でもなんでもありません。「いまはしょうがないけど、近い将来は」との意味で「基地反対」を唱え続けているのです。だから一本調子で「中国や北朝鮮の脅威」を主張しても「そんなことはわかっている」と反発を食らうのがオチです。むしろ「中国や朝鮮半島に対するヘイトを煽っている」とのレッテルを貼られてしまう危険すらあります。

「沖縄は左翼の巣窟」とか「中国の手先」など主張している連中は、沖縄県民の現実主義的な側面を全く考慮していません。それ故に「基地反対」の裏に隠された本音を察知できず、啓蒙活動を行うことで「沖縄県民は目を覚ます」と勘違いしている向きすらあります。沖縄県民はそこまでバカではありませんし、おそらく近い将来ご自身の言論で自分の首を絞める可能性があります。ハッキリ言えばこの手の上から目線の言説は適当に聞き流すのが一番良いでしょう。

普天間基地の辺野古移設問題の最良の幕引きは

最後に辺野古の問題について言及しますが、平成22年(2010年)の日米合意によって普天間基地の移転先が辺野古であることは決定しています。ただし沖縄県知事選挙においては「新基地建設反対」を唱えた候補者が2回勝利していますので、沖縄県民の「民意」は移設反対と見做すことができます。日本政府にとっては頭の痛い問題ですが、国際合意を不履行するリスクを考えると辺野古に移設するしか方法がありません。

普天間基地の辺野古移設問題は「我々は力を盡したが残念ながら……」で幕を引くのが理想なのです。その方が沖縄社会にとってダメージが少ないし、一番丸く収まる唯一の手段と言っても過言ではありません。ブログ主はそのために翁長雄志知事は誕生したと確信してましたが、残念なことに彼の死によってその予測は外れてしまいます。

玉城デニー知事は翁長前知事の後継者ですが、果たして彼が辺野古移設問題をどのような形で幕引きするか情勢は不透明です。一番最悪なのが近い将来に政権交代が実現して立憲民主党首班の内閣が誕生することですが、現時点ではその可能性はゼロに近いと言えます。これだけ拗れた問題はもはや手のつけようがなく、残念なことですが気長に見守るしか方法がありません。時間がすべてを解決してくれることを祈りつつ、今年最後の記事を終えます。