去る23日午前10時、那覇地裁民事第三部(浜川玄吉裁判官)で、琉真会アジト明け渡し訴訟の第一回口頭弁論が開かれた。被告の琉真会会長・仲本政弘は出廷せず、法廷に姿を見せたのは原告代理人ただ1人。原告の上原能吉さんは出張中ということだったが、傍聴席もアジト近くに住む住民1人が来ただけで、暴力追放への住民の関心は薄かった。各地で上がった暴力追放の火の手は、このまま消えてしまうのだろうか…。
「暴力団を追放し、明るい街をつくろう」 – 昨年12月19日、広域暴力団・山口組系上原一家の沖縄進出に地域住民の怒りが爆発。沖縄では初の暴力追放住民大会が開かれた。この住民運動の盛り上がりと、それをバックアップする県警の壊滅作戦によって、上原組はアジト明け渡しを余儀なくされ、曙町での住民運動を契機に、県内各地で次々と暴力追放のノロシが上がった。
長期的に根強く / 後難恐れず県ぐるみで
山口組系の琉真会がアジトを構えた那覇市久茂地2丁目でも、さる3月19日、暴力団アジト撤去住民大会が開かれ、大きな盛り上がりを見せた。しかし、その住民運動と警察の警戒をあざ笑うかのように、暴力団の発砲事件が続発。そのころから、住民運動は次第にしりすぼみの状態になってきた。
琉真会アジトの明け渡し訴訟を担当している国吉真弁護士は言う。「(傍聴人が1人だけだったことについて)何か物足りなさを感ぜずにはいられない。裁判に悪い影響が出るのではないかと心配だ。このような闘いは長期的なものなので、県民の強力な支援が必要となってくるのだが…」。
これに対し久茂地松山大通り会の役員は「今回の訴訟については、前例(上原一家アジトの明け渡し)があったので、みんな楽観していたと思う。住民運動がしりすぼみという事は決してない。暴力団に対する怒りは、以前にも増して強いものがある。これまでにも何回となく役員会を開き、暴力団問題について話し合っており、近く2度目の住民大会を開く予定だ」と話している。
暴力団への怒り、憎しみは県民全員が持っている。ただ後難を恐れ、かかわりあいたくない – との気持ちが先に立ち、口をつぐんでしまう。暴力団への恐怖心から、沈黙を守っていた住民が立ち上がるまでには、並々ならぬ勇気が必要だったはずだ。しかしこの運動を見る他の市民の目は冷ややかだ。「私たちのところには関係ないから、別に運動しなくてもいいじゃないか」。
付近に住む会社員は「個人では弱いが、結束して当たることによって強くなる。その点についてはみんなも確認していると思う。ただ残念なことは、現在の運動が “地域” 住民運動でしかないことだ。市ぐるみ、県ぐるみの運動にならなければ、いつまでたっても解決しない」と話す。
アジト近くの子供たちは久茂地小学校へ通学しているが、同校の教師も「無責任と言えば語弊もあろうが、自分だけ大丈夫なら……との考えがあるのではないか。この地域だけの問題ではないはずだ。私にも暴力団への恐怖感はあるが、それを乗り超えない限り、暴力団はつけ上がるだけだ」と指摘する。そして「私たちの小さな勇気も、警察の取り締まりによって支えられている」と、警察の強力な取り締まりを訴えている。(昭和52年5月28日付琉球新報13面)
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