軍事基地があるから戦争に巻き込まれる

今回は(ブログ主が思うに)我が沖縄でいちばん誤解されているであろう命題について言及します。ここ数年の離島地域(与那国・宮古あるいは北大東島)への自衛隊誘致に関して、その配備に反対あるいは増強に対して反対する人たちの言い分をチェックすると、

“軍事基地があるから戦争に巻き込まれる”

という前提で懸念を示しているケースが散見されます。これは我が沖縄の旧革新共闘会議の伝統的な主張であり、以前に当ブログで “琉球・沖縄における国防意識の変遷” と題した記事で、「自分たちが相手に攻め込む意志を表明しなければ、相手から攻め込まれることはない」との無意識の前提があって初めて成り立つ考え方であることを説明しました。

今回は “軍事基地があるから戦争に巻き込まれる” 命題そのものについて考察します。

実はこの命題は誤りではありません。具体的には “戦争に巻き込まれると軍事基地は狙われる” という命題は真です(必要条件)。ただし “軍事基地があるから必ずしも戦争に巻き込まれる” とは限らないのです(十分条件は成り立たない)。なぜなら戦争は地域のパワーバランスの激変によって生じる可能性が一番高く、軍事基地の配備は二の次だからです。

我が沖縄を例にあげると、慶長14年(1609)の “薩摩入り” はりうきうの軍事基地が原因で起こったわけではありません。日本における豊臣政権誕生と中国大陸の政権(明)の凋落によって東アジアのパワーバランスに変化が生じたことが遠因です。

明治12年(1879)の廃藩置県も日本における政権交代(明治政府)と中国大陸の政権(清)の衰退によって、東アジア地区にりうきうの両属体制を容認できないパワーバランスの変化が生じたことが主因ですし、大東亜戦争は中国大陸の覇権をめぐる日本と米国の対立が原因で、いずれの事変も軍事基地とは別の理由で生じています。

つまり、地域のパワーバランスの激変(軍事基地の過剰配備あるいは空白など)が生じた際の外交手段の一つとして戦争(冷戦を含む)が起こるわけであり、とりわけ一番あぶないのが「力の空白」が生じたときです。なぜならその場合、関係する地域は好む好まざるにかかわらず力の空白を埋めざるを得ない外交力学が働いてしまうからです。

少し話が長くなりましたが “軍事基地があるから戦争に巻き込まれる” の命題は誤りではありませんが、必要十分条件を満たしておりません。その限界を承知の上で上記命題を唱えるなら無問題ですが、我が沖縄の場合は必要十分条件を満たしていないにも関わらず “戦争に巻き込まれないためには軍事基地を撤廃しなければならない(対偶)” を主張する奇妙な人種が一定数存在するのです。

そしてこのような連中こそ真の平和の破壊者なのです。

“お花畑” と言えばそれまでですが、必要十分条件を満たしていない命題の対偶を取って、どや顔で「米軍基地反対」を唱える輩は、もはや手の施しようがありません。ただし残念なことに我が沖縄ではその手のお花畑がいまだに一定の社会的影響力を持ち続けていますが、だがしかし彼らは

おばーは頭悪いから難しいことはわからないさ~

に表されるように、現在進行形で “敬して遠ざけるの刑” に処せられています。そして彼らはそのことに気がつかない、あるいは気がついても知らないふりをしているまことにおめでたい人種なのです。だからその手の輩に対しては直接反論するよりも、遠くから生暖かく見守るのが一番いいと確信しているブログ主であります(おわり)。

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